Q&Aコーナー

質問

 田中美知太郎先生のご著書について一つ質問いたします。昭和25年前後に岩波書店より「岩波ギリシア・ラテン原典叢書」というシリーズが出版されておりましたが、田中先生のご担当されたキケロ『老年について』の出版の有無が分かりません。ご教示いただけないでしょうか。

 先生ご担当の『ソクラテスの弁明』の末尾掲載の出版ラインナップには記載されておりますが、国会図書館はじめいくつかの図書館の目録を調べてみても(今のところ)見つけることができないでおります。筑摩版全集の田中先生の年譜にも見当たらないようですし、キケロの巻は未完に終わったのだろうか、と推察いたしております。

 日本西洋古典学会様にお尋ねすれば事実がはっきりするかもしれない、と思いまして当投稿フォームを使用させていただきました。(急いではおりませんが)ご回答いただけましたら幸いです。

(質問者:プラトンの息子 様)

回答

 こちらからお答えできることはないのですが、ご質問から思いを誘われるところがありましたので、よしなしごとを書いてみます。

 筑摩書房版全集の田中美知太郎先生年譜に見えないということは、先生はキケロ『老年について』の校註はお書きになっていないということだと思います。因みに、CiNiiで検索したところ、「ギリシア・ラテン原典叢書」で刊行されたのは以下の諸書のようです。ウェルギリウスとプラトンは同一のものかと思われます。

田中秀央校註、カエサル『ガッリア戦記 1』1949.12
呉茂一校註、ネポス『外国名将伝』
Harvshige Kodzv, rec., P. Vergili Maronis aeneidos
神田盾夫校註、プリニウス『書簡選』
高津春繁校註、ウェルギリウス『アイネーイス 1』
田中美知太郎校註、プラトン『ソクラテスの弁明』
田中秀央校註、クセノポーン『アナバシス』
高津春繁校註、ホメーロス『イーリアス 1』
呉茂一校註、アイソーポス『寓話選』
Michitaro Tanaka, rec., Platonis apologia Socratis
呉茂一・野上素一校註『ラテン名家選』1957.3

 たまたま手許にある「原典叢書」の広告で見ますと、『老年について』の他に幻に終わったものに、神田盾夫校註、プルタルコス『比較偉人伝』、呉茂一・田中美知太郎校註『ギリシア名家選』があります。美知太郎先生、神田先生、呉先生は同シリーズのご担当分を既に出しておられますので、2冊目3冊目にとりかかるのは時間的に難しかったのかもしれません。もしもっと多くの先生方に分散して依頼していればできていたかも知れない、と想像すると残念です。

 しかし、このシリーズが8年9冊で終わった理由は他にも考えられそうです。一つには労多くして功少なし、と考えられたのではないかということ。著者は新たにテクストを作り、註釈を書き語彙集を整え、版元はギリシア語ラテン語の活字を組まねばなりません。両者で校正にどれだけの精力を傾注しなければならないことか。ギリシア語・ラテン語の文法を学ぶ人は多くても、作品を読むところまで進んで下さる方はかなり減るでしょうから、このようにして作られた本がどれだけ手にとって貰えるか、ということです。

 もう一つの理由としては、戦後洋書が求めやすくなったことがあるかと考えられます。MacMillan Elementary ClassicsやTeubnerのSchulausgabeコンメンタリー・シリーズが容易に手に入るようになると、教師としては苦労して自分で作るより、学生にはそれらを使いなさい、と指導する方が楽に違いありません。

 しかし、自前の註釈書を作るためには、今は事情が好転しているはずです。版権のことは確かめないといけませんが、自由に使えるギリシア語・ラテン語のテクストをパソコン画面の左側に置いて、右側に翻訳や註釈を個人的に書き込んでおられる方は多いと思います。有志を募って、少し計画的組織的にギリシア・ラテン註釈叢書を考えてもよいかもしれません。

 少し話が逸れますが、手許に青木巌著『ヘロドトスの「歴史」と人』生活社(生活選書)、昭和17年10月(定価1円80銭)なる本があります。巻末の「ギリシア・ラテン叢書」(原典よりの完訳)予定リストから点数だけ抜き出しますと、

ギリシア文学        16
    歴史地誌科学   16
    哲学思想宗教   17
ラテン文学言語      19
    歴史地誌科学   13
    哲学思想宗教   14

 この中、生活社で実現したものはごく僅かですが、予定された訳者がその作品を後年別の出版社から翻訳出版なさったものは相当ありますし、このリストに挙げられる作品は今では殆どが訳出されています。(未だないのはメガステネース、クレーメース、ユーリアーノス、ワッロー、ウェゲティウス、カトーくらいでしょうか)。アドバルーンは揚げておく方がよい、などというと語弊がありますが、このような予告を見るだけでわくわくする読者と、頑張らねばと思う研究者がいる限り、志といおうがアドバルーンといおうが、何かを高く掲げておくことは必要だと思います。京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」は200冊以上のアドバルーンを揚げていますが、これがアドバルーンではなく着々と実現しつつある、それだけの人材が日本西洋古典学会には育っているということですから、翻訳だけでなく日本語による註釈叢書も不可能ではないと思います。

(回答:HP運営委員会)