Q&Aコーナー

質問

 松原国師先生の『西洋古典学事典』に、「アステリアーはアトラスの娘で、アトラスとの間にトラキアのディオメデスを産んだ」という趣旨の記述がありました。Sir William Smith "Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology" などにもディオメデスについて、

「ヒュギーヌスによれば、彼はアトラスが自分の娘――アステリアーに産ませた息子である」

Hyginus (Fab. 250) calls him a son of Atlas by his own daughter Asteria. とあります。

が、講談社学術文庫の『ギリシャ神話集』(ヒュギーヌス著)で確認してみると、ディオメデスの父はアトラスではなく、アレスとされています(299ページ)。

Googleブックスなどでラテン語の原文を探してみたところ(読めませんが)、ディオメデスについては「アレス(マルス)の息子」(Martis filium)とするものと、「アトラスの息子」(Atlantis filium)とするものがありました。

古い本では、おおむね「アトラスの息子」とされているようです。

従来「Atlantis」と読まれていた部分が、のちに「Martis」へ訂正されたということなのでしょうか? 訂正されたとすれば、その根拠はどのようなものだったのでしょう?

大変お手数ではありますが、よろしく御教示ください。 (質問者:山猫様)

回答

 『西洋古典学事典』をお読み頂き、ありがとうございます。

 たいそう西洋古典学、ギリシア神話などにお詳しく、研究熱心な御様子で感服致しました。

 さてトラーケーの王ディオメーデースの父親が誰であるかという御質問ですが、あの記述(アトラース説)は御指摘の通り専らWilliam Smith "Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology" のDiomedesに引用されたHyginus (Fab. 250)に依拠しております。通説ではディオメーデースの父親は、伝アポッロドーロス『ギリシア神話(ビブリオテーケー)』その他に見える如く軍神アレースとされています。が敢えて「アトラースと実の娘アステリアーとの間に生まれた不義の子ともいう」(『西洋古典学事典』758ページ右)と付記したのは、若かりし頃に愛読していたペンギン・ブックス、Robert Graves 著The Greek Myths の130に 、

 「it is disputed whether he was the son of Ares and Cyrene, or born of an incestuous relationship between Asterie and her father Atlas」 と記されていたのが強く印象に残っていたからです。高杉一郎氏訳のR.グレーヴス『ギリシア神話』では、「彼がアレースとキューレーネーとの息子であるか、それともアステリアーとその父アトラースとのあいだにできた不義の子であるかについては定説がない」となっています。

 したがって、拙編『西洋古典学事典』68ページ左の「アステリアー」中の解説文も、元々はこれに由来しています。

 とはいえ、ロバート・グレーヴスは英国の詩人であって神話学者ではありませんし、そのギリシア神話解釈にも問題が多いという気が致します。グレーヴスも主にSmith辞典に依拠して『ギリシア神話』を書いた模様ですから、結局はSmith辞典がヒュギーヌス刊本のFab.250当該箇所を、「アトラースとその娘アステリエーの息子ディオメーデース」と解釈したものと推測できます。おそらく、Diomedem Atlantis filium ex eadem とあったテクストのeademを、Asterie と読んだのでしょう(Smithの用いた刊本は不明ですが)。

 ちなみに、H.J.RoseのヒュギーヌスのテクストHyginus,Leyden 1967 (1933)には、Diomedem Martis filium ex eadem.(Martisとeademに校訂記号が付く)となっていて、校訂註に、「先行刊本ではAtlantis であったが、Ioannes Schaeffer を承けて Stauが Martisに改めた。eademは誰のことか分からない。Diomedes は Asterieの息子ではない」とあります(注記・Ioannes Schaefferは1674年、ハンブルクでHyginus刊本を出版した人物。Stau は、Augustinus van Staveren,Auctores Mythographi Latini.Leiden 1742)。

 伝存するHyginusの写本は乱れが甚だしいことで名高く、また通常の神話話形と異なる話形や人名が多く採録されているという特徴が認められます。したがって、後世のテクスト校訂者が、珍奇なアトラース父親説を、ひろく知られているアレース(マールス)父親説に改めたものかと思います。

 よって近代に入ると、Pauly-WissowaやRoscher、P.Grimalなど、いづれも「ディオメーデースはアレースとキューレーネー(ないし、ピューレーネー)の息子」説しか載せない事典が、一般化して行きます。なお、比較的新しいHackett社より上梓された英訳書HYGINUS’ FABULAE(2007年版)を見ますと、「ディオメーデースはマールスとアステリアーの息子」と書かれていますが、アトラース父親説は登場しません(ただし、一行上の「オイノマーオス/オエノマーウス」の説明箇所に「マールスと、アトラースの娘アステリアーとの間の息子」という記述が見られます。この場合、ディオメーデースの母親アステリアー説は、「同女eadem」を、アトラースの娘アステリアーと解したものかも知れません)。

 ヒュギーヌスがどこからアトラース説を得たかということが分かれば解決する問題なのでしょうが、現在のところその典拠を明らかにすることは不可能事に近いと申せましょう。よってアトラース・インセスト説はたいへん分が悪い現状です。

 せっかくの御質問に対してあまり歯切れのよいお答えが出来ませんでしたけれど、Hyg.Fab.250の前後は「近親を殺害した者たち」とか「悖徳の交わりをした者たち」等といった話題が続いていますので、古くは「アトラースが自らの娘アステリアーとの間に儲けた子」と解釈されていたものと推察することはできましょう。

 本回答を書くにあたっては、ホームページ運営委員の中務哲郎先生に様々な御教示を頂戴しました。ここに深甚なる感謝の意を表します。

(回答:松原國師)