Q&Aコーナー
質問
ただ今ギリシア碑文の講読を行っているのですが,方言のためかそれぞれの語が辞書に引っかからず難航しています。
方言や表記ゆれはどのようにしたら(所謂)標準的な形に持ってくることができるでしょうか。
(質問者:十川雅浩 様)
回答
ご質問ありがとうございました。
ギリシア語碑文、とりわけ古い時代の碑文、方言の用いられた碑文を読む際には、
Liddell-Scott-Jones, A Greek-English Lexicon (9th edition with revised supplement), Oxford: Oxford University Press, 1996 (以下LSJ)
のみではお手上げになるというのが実際だと思います。方言で書かれたギリシア語碑文を読むには、
C. D. Buck, The Greek Dialects, 2nd edtion. Chicago: The University of Chicago Press, 1955
が必携と言えるでしょう。初版 (タイトルは Introduction to the Study of the Greek Dialects)は1910年に出されており、こちらは著作権が切れたことから現在インターネットからダウンロードすることも可能ですが、1955年の第2版は初版の時代にはまとまった素材のなかった地域の方言についても触れられており、こちらをお使いになることを勧めます。地域ごとの方言の特徴、とりわけ特異な語形についての一覧が示されており、方言を読む際に有用です。もちろん第2版ですら60年前に出版されたもので、その後膨大な数の碑文が公刊されていることから、すでに時代遅れという部分もないわけではありませんが、今なお方言学習の基本書と言えます。
Buckを補うものとしては、簡潔な書ですが、
R. Schmitt, Einführung in die griechischen Dialekte, Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft, 1977
があります。また、1980年代以降、続々と出版されてきている個別の方言に関する文法と語彙を扱った書物は、該当地域の碑文を読むときには有用であり、時に必須です。とくに解読に困難を感じるであろうクレタとエリスの方言については、それぞれ、
M. Bile, Le dialecte crétois ancien: Étude de la langue des inscriptions, Paris: de Boccard, 1988
S. Minon, Les inscriptions éléennes dialectales, I et II, Genève: Droz, 2007
が参考になるでしょう。キプロス方言碑文を読まれる場合には、
M. Egetmeyer, Le dialecte grec ancien de Chypre, I et II, Berlin: De Gruyter, 2010
があります。ちなみにアッティカ方言については、碑文講読の勉強をはじめたばかりの段階では必要ないかと思いますが、碑文の事例を網羅的に集めた
L. Threatte, The Grammar of Attic Inscriptions, I and II, Berlin: De Gruyter, 1980 and 1996
を参照する時がいずれ来るかもしれません。またヘレニズム時代以降の碑文を対象としていますが、
B. H. McLean, An Introduction to Greek Epigraphy of the Hellenistic and Roman Periods from Alexander the Great down to the Reign of Constantine, Ann Arbor: The University of Michigan Press, 2002
は、碑文の基礎を学ぶに有用です。
なお、LSJを利用する際に、補遺(supplement)の部分にも目を通すようにしてください。補遺の大部分は、初版以降に公刊された碑文史料から得られた語からなっており、なかでも古い時代の方言を数多く含んでいます。また、2015年にBrillから出版されたイタリア語ーギリシア語辞典からの翻訳となる
F. Montanari, The Brill Dictionary of Ancient Greek, Leiden
では、ドーリス方言を中心に、しばしば方言の語形が見出し語としてとりあげられており、碑文読解の助けになると思います。さらに、
G. Traut, Lexikon über die Formen der griechischen Verba, Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft, 1986
なども動詞の形態を探し出す助けになるかと思います。
大変だとは思いますが、要は1冊の辞書で片付けるのではなく、いろいろな文法書や碑文集にあたりながら読み解いていただければと思います。
(回答:師尾 晶子)