Q&Aコーナー
質問
中世における古代写本保管・筆写の拠点とその内容に関する質問です。
西洋古典叢書の何冊かを読んでいるうちに、毎回、解説に記載されている写本の来歴に興味を惹かれるようになりました。そこで、西洋古典叢書やLoebなどの書籍が、中世のどの修道院で保管・筆写されてきたのか、を主題としてまとめた書籍(出来れば日本語が望ましいのですが英語でも可)の有無について質問です。
図書館で、西洋古典叢書の「解説」を片端から調べて把握する方法もあるかと思いますが、識者がまとめた書籍があるのであれば、それを利用したい、と考え質問させていただいた次第です。
具体的には、例えば、『ローマ皇帝群像』の解説には、当該書籍の主要写本はフルダ修道院のものだとのあります。それでは、フルダ修道院で保管・筆者された古代著作は他に何があるのか、フルダ修道院以外の、他の写本保管に貢献した著名修道院は何があり、各々どの著作が保管されたのか、について具体的・全体的な傾向が把握できる書籍(orサイト)を探しています。ギリシア語・ラテン語双方の写本について扱っていればベターです。
もし、このような書籍(orサイト)をご存知であれば、ご紹介いただけますと助かります。
よろしくお願いいたします。
(質問者:Solaris1 様)
回答
ご質問有難うございました。
例えばホメロスの写本について、Venetus Marc. 822 (olim 454) とか Laur. 32.15 と ある場合、それがヴェネチアのLibrary of St. MarkおよびフィレンツェのLaurentian Libraryを指すということは、私の場合、
F. W. Hall, A Companion to Classical Texts. Chicago 1970
で調べ、このような問題についてはだいたいこの本で済ませてきました。この本 は古代の書物の制作とルネッサンス期までの伝承、校訂の問題を解説した後、ギ リシア・ラテンの主要な作家の主な写本を指示し、さらに付録のような一章とし て、ラテン語表記の写本の意味・所在地を説明したリスト ’The Nomenclature of MSS., with the Names of Former Possessors’ を含み、これがとても重宝です。
ところが、ご質問者のお尋ねはこれとは反対方向のご疑問のようですね。『ロー マ皇帝群像 4』の改題を見ますと、これの主要写本はフルダの修道院で写され 、14世紀初めまでにヴェローナの参事会図書館に収められた。そこからペトラル カが写したものはCodex Parisinus Latinus 5816 と呼ばれている。元の写本は16世紀 終わり頃までにハイデルベルクのプファルツ宮中伯(パラティン伯)図書館の所 蔵に帰し、Codex Palatinus と呼ばれるようになった、云々とあります。ご質問は、 写本の移動ではなく、フルダの修道院には他にどのような写本があるのか、とい うもの。ギリシアのアトスにある数々の修道院は多数の写本を持っているそうで すし、実際「アトス写本」というのはしばしば目にします。が、アトスがどれほ どのものを持っているかは、不勉強で調べたことがありません。
写本の問題については、名著が邦訳されています。
L. D.レイノルズ、N. G.ウィルソン『古典の継承者たち』国文社、1996(西村賀子 ・吉武純夫訳)
ベルンハルト・ビショッフ『西洋写本学』岩波書店、2015(佐藤彰一・瀬戸直彦 訳)
『西洋写本学』は未読ですが、古代の本の字体や材質、筆記具、写本の形態な どの問題が主なようです。『古典の継承者たち』はギリシア・ラテンの文献がい かにして今に伝えられてきたかを述べたもので、修道院や個人の尊い苦労の数々が描かれていますので、古典を学ぶ者は読んでいて思わず襟を正したい気持ちに なります。そのxxvii頁「写本索引」への付記としてこのようなことが書かれています。
「ギリシア・ラテンの写本の説明書や手引きの目録を扱った案内書:
M. Richard, Répertoire des bibliothèques et des catalogues des manuscrits grecs. 2nd ed., Paris 1958 (Supplément. Paris 1965)
P. O. Kristeller, Latin manuscript books before 1600. 3rd ed., New York 1965
いくつかの主要な図書コレクションの形成に焦点を当てた高度な研究書も出て いるが、本書はそこまで触れていない。(ご質問者にはこれが必要なのでしょう が)。ルネッサンスから今日までの写本の動きを簡潔に記述し、コレクションの 名称の由来・現所在地に至った経緯を説明する書物があれば重宝なのだが、現在 (1991年)までこの需要を満たす研究書は現れていない。ただ、F. W. Hall, A Companion to Classical Textsの’The Nomenclature of MSS., with the Names of Former Possessors’は今でも有益。この分野の研究書としては、
M. R. James, The wanderings and homes of manuscripts (Helps for Students of History no.17) London 1919
G. Laurion, Les Principales Collections de manuscrits grecs. Phoenix 15 (1961), 1-13 を見よ。
的確なお答えにならず申し訳ありません。これはとりあえずのお答えとして、 この問題に詳しい方からのご教示を、HP運営委員会までお願いいたします。
【追記】
西洋古典文献の写本の問題について、回答の読者から興味深い動画を教えていただきました。ご質問に直接お答えするものではないのですが、ホメロスのVenetus
Aを電子化する作業を描いたドキュメンタリー(英語版)で、写本を実際に扱う現場だけでも興味深いかと思い、補足的にご紹介いたします。
https://www.youtube.com/watch?v=ri6X1Dz4Ycg
(回答:T.N.)