Q&Aコーナー

質問

 ギリシア語の長母音について。長短記号が記されていないとき、長母音のイー(Ι)、ウー(Υ)、アー(Α)をどのように短母音と区別しているのでしょう? 古典ギリシア語の入門書も確認したのですが、どうしても分かりません。「この単語の場合はここが長母音」といったように、慣れで見分けておられるのでしょうか? それとも何か長母音の位置が決まる法則があるのでしょうか? 例えば、ナウシカアーの末尾の「Α」は長母音です。では、ΜΩΡΙΑは「モーリア」となるのでしょうか、それとも「モーリアー」となるのでしょうか。エー「Η」とオー「Ω」は綴りを見れば分かりますが、ほかのイー(Ι)、ウー(Υ)、アー(Α)をどのように見分けておられるのか、不思議に思っています。

(質問者:後藤利樹様)

回答

 ご質問有難うございました。

 ギリシア語について大文字表記で質問しておられますが、以下では説明の便宜上、ギリシア語表記は小文字を主とした標準的な表記方法を用います。

 まず質問者の方の誤解を訂正しておきます。

 υは基本的に「ウ」や「ウー」ではなく、「ユ」や「ユー」の音です(例:λύρα(リュラー), Πυθώ(ピュートー), Ὑάκινθος(ヒュアキントス))。ただしαυ, ευ, ηυといった「複母音の第二音」にあるときには「ウ」の音が現れます(例:αὐλός(アウロス), Εὐριπίδης(エウリーピデース))。

 また、ουは「ウー」と読みます(例:οὐρανός(ウーラノス))。

 このように、「ウー」と音写する時の綴りはου, 「アウ」や「エウ」と音写する時の綴りはαυ, ευなのですが、υ単独では「ユ」か「ユー」であり、「ウ」や「ウー」と音写することはありません。

 そしてα, ι, υの長短の識別についてですが、これらは基本的に単語ごとに辞書で確認することになります。まさに「この単語の場合はここが長母音」ということです。辞書には必ず何らかの形でこれら母音の長短が分かるように書かれています。例えばご質問にあるμωρίαは、Liddel & Scottの希英辞書のIntermediate版では「Ion. -ίη」と併記されています。このことから、μωρίαの語末のαはイオーニア方言のηに相当するということで、長母音のᾱであるということが分かります。ただしこのLiddel & Scottのμωρίαの表記は若干不親切なものとなっています。というのも、「イオーニア方言とアッティカ方言では、元来はᾱであった音がηになったが、アッティカ方言(入門で学ぶ標準的なギリシア語はこちら)の方では、ε, ι, ρの後でᾱのまま保持されている」という知識が必要になるからです。なお、Morwood & TaylorのPocket Oxford Classical Greek Dictionaryや古川晴風『ギリシャ語辞典』といった辞書では、μωρίᾱと長音記号を付けて表記しています。

 このように基本的には個々の単語ごとに辞書に当たる必要がありますが、辞書に当たらずともα, ι, υの長短を識別できる場合がいくつかあります。一つはアクセント記号から判断できる場合です。ギリシア語のアクセント記号には鋭アクセント・曲アクセント・重アクセントの三種類がありますが、このうち曲アクセントは短母音には付きませんので、曲アクセント記号が振られているᾶ, ῖ, ῦは必ず長母音であると識別できます。

 また単語の語末の母音の長短についても、その単語のアクセントから識別できる場合があります。というのも、単語のアクセント規則と語末の母音の長短は密接に関わっているからです。以下の場合に語末の母音は短母音だと確定できます。①「語末から三音節目に鋭アクセントがある時」(例:例:θάλαττα)、②「語末から二音節目に曲アクセントがある時」(例:Μοῦσα)。また以下の場合に語末の母音は長母音だと確定できます。「語末から二音節目が長母音か複母音でそこに鋭アクセントがある時」(例:χώρα)。ただしご質問にあるΝαυσικάαやμωρίαの語末のαの長短は、このようなアクセント規則からだけでは識別できません。

 さらに、詩や劇などの、韻文テクストに用いられている単語については、その作品の韻律から母音の長短を識別できる場合があります。ギリシア語韻文の韻律は音節の長短から構成されているので、基本的に、韻律の規則上短音節になる箇所の音節の母音は短母音、長音節になる箇所の音節の母音は長母音となります。韻律についても詳述を省きますが、Ναυσικάαの登場する『オデュッセイア』(dactylic hexameterという韻律で作られています)でどのように語末のαの長短を識別するか見ておきます。『オデュッセイア』第6巻17行目はΝαυσικάα, θυγάτηρ μεγαλήτορος Ἀλκινόοιο,となっています。ここでのΝαυσικάαの語末の音節はdactylic hexameterという韻律の規則上長音節でなければならず、それゆえこの語末のαは長母音のᾱであると判断できます。ただし、常に「長音節だから長母音である」と識別できるわけではありません。長音節であってもその音節が「位置によって長い」音節(その音節の母音のあとに二個以上の子音が連続する音節)にもなっている場合は、その箇所の母音の長短がどうであれ長音節になるからです。例えば上記のθυγάτηρの-τηρの音節は、語末のρの次に子音のμ-がありますから「位置によって長い」音節にもなっています。もちろんηなのでこれはすぐに長母音と分かりますが、もしこのηの位置にα, ι, υがあったとしても、韻律からだけではα, ι, υの長短を確定することはできません。

 以上をまとめますと、「ギリシア語の単語の母音のα, ι, υの長短を識別するには基本的に単語ごとに辞書で確認する必要があるが、単語のアクセントやその単語が用いられている作品の韻律から確定できる場合もある」、ということになります。

(回答者:西井奨)