Q&Aコーナー
質問
〈笛吹けども踊らず〉(We have piped unto you and ye have not danced.)という英語のことわざの由来についてお尋ねします。
たいていの辞典には、新約聖書「マタイ伝」11章が出典と記されているようですが、私は《イソップ寓話集》の「笛を吹く漁師」(ペリー版・11)の方が以前につくられた話なのではないかと思うのですが、いかがでしょう?
その他、ヘロドトスにも似た記述があると何かの本で読んだ記憶もあるのですが、はっきりしません。
2度目の質問ですが、どうかよろしくお願いいたします。
(ペイライエウス 様)
回答
ご質問、有難うございました。
仰せの如く、「笛吹けど踊らず」の話が文献上に現れるのは、新約聖書「マタイ伝」11.17より「イソップ寓話集」11(Perry版)の方が古いようです。(「イソップ寓話集」の原型がパレロンのデメトリオス(前4,3世紀)による寓話集成にあるとして)。そしてそれよりも古く、ヘロドトス『歴史』(前430年頃)1.141の挿話がこれと関連することも確かでしょう。自分の本で恥ずかしいのですが、この辺りのことは『イソップ寓話の世界』(ちくま新書、23~26頁)に書きました。
ただ、諺の起源という観点からすれば、大抵の辞書にある記述も間違いとは言えないと思います。つまり、「マタイ伝」の筆者は世上よく知られていたこの譬え話を用いたのでしょうが、「笛吹けど踊らず」という諺が生じたのは、やはりヘロドトスやイソップからというより、新約聖書からだと思われますので。
余談ながら、ヘロドトス『歴史』1.141はこのような話でした。リュディアのクロイソスがイオニア地方のギリシア人を支配していた前6世紀前半のこと。新興国ペルシアのキュロス大王がリュディア征服を目論んで、イオニア人にもリュディアに叛くよう頼みます。イオニア人はこれに従わなかったのに、ペルシアがリュディアを征服した後になって、キュロスの許に使者を送り、クロイソスの時と同じ条件でキュロスに服属したい、と申し出ます。この時キュロスが激怒して、「おい踊るのは止めないか。お前たちは俺が笛を吹いたのに、出てきて踊ろうともしなかったくせに」の寓話を語るのです。
これについて、面白い別の話も伝えられています。シケリアのディオドロス『世界史』9.35によると、時機を失して友好平和条約を結びたいと言って来た小アジアのギリシア人に対して、ハルパゴス(キュロスの命の恩人、キュロスの重臣、海軍提督)が自らの経験を語ります。かつてハルパゴスはある娘と結婚したいと思ったが、娘の父親は彼を侮り、娘をもっと地位の高い男と婚約させた。その後で父親は、ハルパゴスがキュロスに重用されるのを見て、娘を与えると言って来た。ハルパゴスは、今は娘と結婚する気はない、妾にならしてやろう、と答えた、と。キュロスも今やギリシア人を友人にする気はないが、奴隷にならしてくれるであろう、というわけです。
(回答者:中務哲郎)