Q&Aコーナー

質問

HBOとBBCの共同制作のテレビドラマ『ローマ』で、皇帝カエサルが顔を赤く塗って登場するシーンがありますが、そのような化粧法が古代ローマにあったのでしょうか。あったとしたら、どういう意味があったのでしょうか。(和田三郎 様)

回答

 このテレビの番組を見ていないので、皇帝カエサル(独裁官ガーイウス・ユーリウス・カエサルのこと?)がどのような場面で顔を赤く塗っていたのか分か りませ ん。もし彼が月桂樹の冠をかぶり、緋色(金の刺繍が施されているかもしれない)のトガを着用し、手に鷲の飾りがついた象牙の王笏を持っていたのなら、それは凱旋将軍の装束であり、 顔の赤もその文脈で説明することができます。ローマの元老院は、内乱に勝利しローマ帝国の単独支配者となった独裁官カエサルに対して様々な栄誉を決議したと伝えられますが、そのなかには、凱旋式の装束の着用を先ず全ての競技(ルーディー)の場に限って(前45年)、次いでこれを都市ローマのなかで常に(前44年)認める決議が含まれていたそうです(カッシウス・ディオ『ローマ史』第43巻43章1;第44巻4章2)。また帝政期に入ると凱旋将軍の装束は皇帝の正装の一つに発展して行きます。

 大プリーニウス(紀元後一世紀)は『博物誌』のなかで「ウェッリウスが数え上げている典拠から、(カピトーリウムの)ユッピテル像の顔が祭りのたびご とに鉛丹を塗られるのを習いとし、凱旋将軍の体(恐らく、「顔」の言い換え)も同様に塗られた、そしてカミッルスはこのようにして 凱旋式を行った・・・ と信ぜざるをえない」(第33巻111節)と記していますが、恐らくプリーニウスの証言は、古代学者ウェッリウス(・フラックス)の時代(アウグストゥス期)に「かつて凱旋将軍は顔に鉛丹を塗り、マールクス・フーリウス・カミッルス(前四世紀初頭)もこのようにして凱旋式を行った」という伝承が存在した が、凱旋将軍が顔に鉛丹を塗る風習自体は廃れていた、と理解するのが良いと思われます。勿論このように解釈しても、プリーニウス(ウェッリウス)の証言 にどれ程の信憑性を認めるかという問題は残ります。つまり番組のなかで「皇帝カエサル」が顔を赤く塗っていたのはせいぜいのところアナクロニズム、と 言っておく方が安全でしょう(『ローマ皇帝群像』の「三人のゴルディアヌスの生涯」6章1を根拠に凱旋将軍が顔を赤く塗る習慣は非常に長いあいだ続いたと言う研究者もいるが、この解釈には賛成できない)。ただカミッルスが凱旋式で車を白馬に引かせたので非難されたという伝承も含めて、カミッルス伝説と独 裁官カエサルの間にはいろいろと難しい問題があります。

 もし番組のなかで凱旋式とは無関係に「皇帝カエサル」が顔を赤く塗っていた としたら、何故か分かりません。少なくとも史料上は、ローマの皇帝が常々顔 を赤く塗っていたと証言するものはないと思います。

(回答者:毛利 晶)