日本西洋古典学会第57回大会

研究発表要旨

プラトンにおける流転と言語 ―『ティマイオス』49b-50b ―

中村 健

 プラトンはしばしば、流転するこの世界の現象について語ることの困難を指摘している(e.g.『クラテュロス』439c-440d、『テアイテトス』181c-3c)。この世界の現れはすべて流転しており、我々の発する言葉から逃れてしまうため、現れについて何ら確定的なことを語ることはできない、と。彼は、『ティマイオス』49b-50bにおいてもこの種の問題を語っている。つまり、「我々がいま『水』と名付けているものは、我々が思うに、凝固すれば石や土になるのを我々は見ているのであり、分解すればその同じものが風や空気になり、空気が燃え上がると火になるのでありノ. こうして循環的にお互いに生成を与えあっているように見える」、という刻々と変化する(ように見える)現象の世界を我々はどのように語るべきか、という問題である。この箇所は、約50年前に H. Chernissが「非常に間違って理解されてきたパッセージ」と呼んだ箇所であり、彼はそれまでの伝統的な解釈に代わる代替案を提示した。上の問題に対する返答の中でも論争の焦点となっている文(d5-6)は、それぞれの立場から次のように解釈されている:
(1)伝統的解釈:火を、「これ」(固定的なもの)として呼ぶのではなく、「これこれのもの」(火のようなもの・火的なもの)として呼ぶ
(2)代替案:これ(touto)を「火」と呼ぶのではなく、これこれのもの(toiouton)を「火」と呼ぶ

 しかし、これらの解釈はそれぞれ、問題点を抱えているように見える。後者の問題は、繰り返し生じる同定可能な性質とされる「これこれのもの」の身分が不明な点に加えて、たとえこの記述方式を採ったとしても、我々は流転する現象について語ることができないままであり、したがって、それは本来の問題に対する答えにはなっていない(ように見える)という点である。というのも、繰り返し生起する性質とされる、これこれのもの、を「火」と呼ぶこと自体は、刻々と変化する現象を語る困難の助けにはならないだろうから。また、前者の解釈に関しても同様に、現象としての火を(例えば)「火のようなもの」と呼ぶことがいかなる意味でそもそもの問題に対する解答であるのかがわかりにくい。

 以上のことを考慮し、本発表では、特に、はじめに設定されていた本来の問題を正確に理解し、それに対する解答としてより適切と思われる解釈を提示することにつとめる。また、上でも触れた通り、『テアイテトス』においても同様の(流転する世界の語り方についての)問題が扱われており、そこでも解釈者たちの見解は二つに分かれているので、これら両対話篇の二つの箇所を整合的に解釈することにつとめる。


前四世紀ギリシア諸ポリス市民軍と傭兵について

小河 浩

 前四世紀ギリシア世界の諸ポリスは慢性的戦争や政治的混乱・市民間の経済的格差の増大などを要因として多数の経済的没落民を出したとされてきた。かかる没落民は生計をたてるために傭兵に転化するとともに、他方ではポリス市民軍の構成員から脱落することを余儀なくされたと考えられてきた。同世紀中に市民軍は市民の義務たる軍役を傭兵に委任したということがしばしば通説で言われてきた。かかる通説的見解は少なくともアテナイに関しては、L.B.Burckhardtらの近年の研究によって解消されつつあるように見える。

 前四世紀アテナイ市民軍はある程度衰退していたものの、傭兵の使用は補助的レベルにとどめられていたと主張される。アテナイ市民軍は直ちに主導的役割を傭兵に明け渡したわけではなかったというのである。Burckhardtらの研究は示唆に富むが、それではアテナイについて言えることがギリシア世界全体にどこまで一般化できるのか。従来の研究ではまだこれを検証していない。本報告では前四世紀ギリシア諸ポリス市民軍が傭兵に国防の主導的役割を明け渡していたのかどうかを検討する。

 具体的には前四世紀ギリシア世界における市民軍と傭兵軍の使用された状況を検討し、どちらが戦場で主導的役割を果たしたかを考察する。始めにアテナイの状況を簡単におさえる。次いでスパルタの状況も検討する。それ以外には中部ギリシア代表としてテバイ・ボイオティア諸ポリスとポキス、北部代表としてテッサリア諸ポリス、南部ギリシア代表としてアルカディア諸ポリスの例を取り上げる予定である。これらの地域は何らかの事情で大量の傭兵と関わったり、あるいは傭兵を輩出したからである。言うまでもなくアテナイ・スパルタ以外の状況を知るには史料的制約が大きくなる。しかしこれらの地域ではしばしば中小ポリスの共同出兵の事例があり、ある程度史料や研究が存在する。それらの事例からギリシア世界全体について、ある程度の状況を推し量ることは可能であろう。史料的にはディオドロスやクセノポンなど、当時の市民軍と傭兵の動向を伝える文献史料を分析対象とする。

 傭兵はアテナイ・スパルタなど一部ギリシア世界の政治軍事の中心的役割を果たしたところに集中して現れる傾向にあったこと。 それ以外の地域では傭兵の出現する頻度は低いこと。おしなべて前四世紀のギリシア世界全体では傭兵は市民軍の補助的役割を果たしたにとどまったことを明らかにする。



「重さと軽さ」と「大地と空」― Ovidius Metamorphoses 10.148-739 ―

河島 思朗

 オウィディウスの『変身物語』は、第1巻冒頭で宣言される通りに、変身に関する多彩な物語が(多様性)途切れることのない歌となるように(連続性)様々な仕方で相互に連結しながらひとつに織り成された(統一性)叙事詩である。またこの叙事詩は、物語中の登場人物が別の物語を語るといった入れ子式になる場合が多い。Boemerの指摘するこの連続性・多様性・統一性を保ちつつ、物語群が多層的構造を形成するのである。第10巻「オルペウスの歌」(148-739)もまた、冒頭部分(148-54)と7編の物語から構成され、多彩な物語が連続するものとして互いに結びつきながら、ひとつの歌を織り成している。以上の認識は先行研究が広く認めるものであるが、個々の物語の解釈に影響を与えるような複数の物語同士の内的連関について、具体的に議論され得る余地はなお多く残されている。

 本発表は、7編の物語のうち「ガニュメーデースの物語」、「ヒュアキントスの物語」、「アドーニスの物語」、「アタランタとヒッポメネースの物語」に着目する。そして4編の物語の中に、「重さと軽さ」と「大地と空」という共通する要素を見出す。これらの要素は、物語同士の連関においても、個々の物語の理解においても、重要な役割を担うものであると思われる。またこれらの物語は「オルペウスの歌」の最初と最後に位置し、全体の性質を特徴付けている。本発表は、4つの物語が共通要素を軸に連関することを論じ、それによって個々の物語に新たな理解を提示するとともに、「オルペウスの歌」全体の特質を明らかにすることを目指す。「オルペウスの歌」の構造を検討することを通じて『変身物語』全体の構造理解にも一定の方向性を見出すことができるのではないだろうか。

 具体的には、第一に、ガニュメーデースとヒュアキントスの間に「空と大地」の対比を見出す。さらにヒュアキントスの死と変身の場面において「重さと軽さ」の要素が重要な役割を担うことを明らかにする。二つの物語が連続するのみならず、内的な連関を伴い、鮮やかな相互照射を成していることを示したい。第二に、従来の研究において十分に考察されていない「アドーニスの物語」と「アタランタとヒッポメネースの物語」の有機的な連関について、同様に「重さと軽さ」と「大地と空」の要素を基点として分析する。そして二つの物語にそれらの要素が共通することを指摘して、両方の物語が構造的にも内容的にも密接に結び付いていることを論じる。最後に、「オルペウスの歌」冒頭部分で語られる「重さと軽さ」を分析し、以上の考察を手がかりとして「オルペウスの歌」の基盤を成す特質に一定の理解を提示したい。



アリストテレスにおける起動因としての魂」

金子 善彦

 アリストテレス(以下、Ar.)は、『魂について』III.9-10、『動物運動論』の各所において、「欲求が動かす」等の直截な表現を用い、私たち人間や動物の行動が、魂の一定の部分によって引き起こされるという見方を提示している。さらに『動物部分論』I.1では、動物の形相(魂)が明確に「動かすもの」(641a27)と特定され、まさに「運動の始原」(641b4-5)であることが強調されている。

 これらの主張は、身体の活動とは独立に、それを引き起こす神秘的な「さらなる要因」をあからさまに要請するかにみえることから、従来、消極的な扱いを受けてきた。現代の知見を取り入れた巧妙な解釈により「さらなる要因」を除去することに主眼を置く最近の研究は、魂から起動的役割を奪う傾向にある。本発表で私は、これに対し、Ar.の魂概念に起動因性の含意をむしろ積極的に認め、その因果性の内実を可能な限り解明するという方向性を追求したい。

 そのためにまず、動物の行動の起源を論じた『動物運動論』(6章以降)の考察から、「起動因としての魂」が語られるのに相応しい文脈を確定する。そこでAr.は、人や動物を取り囲む対象から行動へと至る因果の系列に、魂がいかに参与するかという視点から議論を進めている。この場面で魂の起動因性に焦点が当てられるのは、まさにそれこそが、周囲の対象に反応するだけの受動的な存在ではなく、因果の系列に参与し、自ら行動することのできる「行為者」(自己運動者)たる資格を動物に賦与すると考えられるからである。

 では、魂がそのような因果の系列に参与することは、いかにして可能なのか。この問いは、行動の起源を問う文脈にとどまらず、Ar.の構想する原因論を背景に考察すべきであるとの考えから、本発表では特に、形相そのものに起動的役割が与えられる三つの文脈を探る。一つは、形相と同一視される技術が、起動因として事物の制作に関与する文脈。もう一つは、雄親のスペルマに担われた形相が、動物の発生において起動因の役割を演じる文脈である。前者の文脈同様、後者の文脈においても、一面で、生成物のいわば外から作用する外在的原因に焦点が当てられるけれども、しかしそれに加えて、外在的原因を起源とはするが、その因果的効力が内部にまで引き継がれ、その結果自らのうちに新たな起動力を獲得する動物独自のあり方が強調される点が重要である。さらに、事物の形相が感覚や思惟の対象として作用する文脈も視野に入れ、魂の起動因性を支える理論的基盤の解明を試みる。

 以上に通底するのは、形相概念に込められたAr.特有の「運動-賦与的性格」とでも呼ぶべき特徴であり、それによって魂の因果系列への参与も可能となる。そのような視点に立つならば、「起動因としての魂」は、決して我々の理解を超えた神秘ではなく、人や動物のような「行為者」を他から区別する不可欠の要請として、十分理解可能なものであることが明らかになる。



セイサクテイアとは何か?

伊藤 正

 ソロンの改革のキーワードとも言えるセイサクテイア(重荷おろし)については古来様々に解釈されてきた。最も普及した解釈は「負債の切り捨て」であるが、それ以外にもアンドロティオンの利率の軽減説やプルタルコスが伝える犠牲の名称説がある。周知のように、この言葉の初出は『アテナイ人の国制』(以下、A.P.と略記)であるが、不思議なことに、肝心要のソロンの詩篇にその語を見出すことは出来ない。A.P.の著者も「彼らは公私の負債の切り捨てをセイサクテイアと呼んでいる」(6,1)と述べ、「ソロンは」と記していないし、プルタルコスも「最初に負債の切り捨てをセイサクテイアと呼んだのは、思うに、ソロンのアイディアだったようだ(『ソロン伝』15章)」とあいまいな記述を残している。つまり、A.P.の著者は(おそらくプルタルコスも)ソロンが書いたものの中にその言葉を見出していなかった可能性が強く、とすれば、その語はその中に存在していなかった蓋然性が高い。

 更に、不可解なことに、アリストテレスの『政治学』(2巻12章2節以下)においてもセイサクテイアへの言及がないのみならず、ソロンの改革に関する解釈もA.P.とは異なっている。セイサクテイアを「負債の切り捨て」とする解釈はおそらくSol. F 36, 5-7から導き出されたものであろう。すなわち、6行目に現われるホロイをA.P.の著者は前4世紀アテナイで普及していた抵当標石と同一視し、それを引き抜くことによって土地を抵当にした負債が帳消しになったと考えたのではあるまいか。もしそうであるとすれば、ソロンがホロイを引き抜く前の債務者の状況はいかなるものであったろうか。おそらく、A.P.の著者はSol. F 36, 13-14で言及されている人々をこのような債務者と捉え、前4世紀の慣行から類推して、彼らをA.P. 2.2の如く説明したのであった。

 しかし、『政治学』にはこのことへの言及がまったくないのである。『政治学』に拠れば、ソロンは寡頭政を打倒し、民衆が隷属していたのを終らせ(1273b 36ff.)、民衆に「役人を選ぶ()ことと審査すること(エウトュエイン)を分かち与えた」とされる。そして、「このことをなす力をもたなければ、民衆は奴隷(ドゥーロス)である」と記されている(1274a 16ff.)。では『政治学』のこのような解釈はどこから導き出されたのであろうか。これも、やはり、Sol. F 36, 13-14であろう。

 過去を扱う歴史家は過去の出来事を彼自身の時代の基準や物差しで計ることをある程度逃れられない。こうした基準や物差しは過去を再現しようとする彼の試みに影響を与える。本報告では、A.P.と『政治学』の著者がセイサクテイアをどのように説明しようとしたかを双方の記述に照らして吟味し、後世セイサクテイアと呼ばれたソロンの改革は実態として後者の解釈があり得たことを、アルカイック期の詩篇を検討することによって明らかにしたい。



伝テオクリトス謎歌「シュリンクス」

古澤 ゆう子

   テオクリトスの名のもとに伝わる物体詩Technopaegnia「シュリンクス」は、詩行の長短を変えて牧神笛の形に似せた20行の短詩である。2行一組で一本の葦を描き、笛は10本の茎を結びあわせた形をとる。最初の2行はヘクサメタだが、隔行ごとに半脚韻短くなり、最後の2行はcatalectic dimeterで終わる。また、2行づつでテーマもまとめられる。短詩の内容は、シミキダス(=テオクリトス)と名乗る者が、葦笛をパーンの神にささげる献辞だが、名指される人物は一人残らず名前が言い換えられ、「誰でもない者の妻(=ペネロペ)」「遠闘者(=テレマコス)」「岩に代わる者(=ゼウス)」といった謎々がくり返される。作詩者と作詩時期は資料不足のため推測の域を出ないが、古喜劇・中喜劇における謎の楽しさを知り尽くしたうえで、難度の高い謎をつくる工夫がこらされている。その難しさは文脈から謎の答えが明白なための説明省略のせいもあるが、なかには回答者に対して不公正ともいえる無理なこじつけが存在する。しかしながら一見無理な言い換えだとしても、その言い換え自体が対象人物や伝説事項に対する詩人の新しい解釈を示す場合もある。周知の伝説と異なる係累関係(たとえばパーンの母はペネロペで、ニンフのエコーが恋人)がうたいこまれるのも、これと関連する。周辺的神話や地方神話をとりあげるのはヘレニズム時代の特徴であるが、この詩においては、ものめずらしさや民俗学的関心だけでなく、よく知られた神話上の神々や人物を新らしく解釈しなおす試みのひとつと考えられる。「シュリンクス」では、パーンがペルシア軍を退散させフェニキア人を打ち破ったといった記述から、牧神に対して、羊飼いや牛飼いといった牧人のみならず戦士や町の住民の生活にも関わる役割を持つ神格であるとの再評価を付している。そこで機知の楽しみと謎を解く喜びに加えて、既知の神々や英雄像の新しい見方を暗示する新鮮な驚きを提供していると言える。

 さらに重要なことは、こうした作詩傾向と詩の内容が作者の作詩論と関係づけられていることである。詩人はシミキダスと名乗っており、テオクリトスの7歌「収穫祭」を思い起こさせる。7歌は詩人の詩論とその詩論に基づいて作詩された二つの歌と枠歌からなると解釈できるが、この物体詩でも詩人の詩作姿勢が暗示されている。「シュリンクス」の作者は自分が「パリス」(すなわち女神たちの審判者、「テオ」「クリトス」)であると言い、美に対する高い鑑識眼を自負する。そしてエコーになぞらえたムーサを「短いことばをきれぎれに歌う」「もの言わず」「麗しい声の」「目に見えない」女神であるとして、自己の詩の特徴を詩女神に託していると解釈することができる。



3世紀後半のイタリア統治の変容と都市社会

大清水 裕

 前91-87年の同盟市戦争でローマ市民権を獲得して以来、イタリアはローマ帝国の中で特権的地位を保っていた。しかし、「ローマの平和」の下で各属州の社会的・経済的影響力が伸張してくると、その地位は揺らぎ始める。212年、アントニヌス勅令によって帝国内の全自由民にローマ市民権が付与されると、イタリアの特権的地位はその法的根拠を失い、3世紀末、遅くとも4世紀には所謂「属州化」が完了したとされる。

 この「属州化」の過程を特徴付けるのが、他の属州の総督にあたるcorrector職の派遣である。しかし、そのcorrector職の登場と変容の過程は、3世紀の史料状況の劣悪さゆえ決して明瞭なものではない。それゆえ、数多の議論がcorrector職の変容をめぐって引き起こされてきたが、その一方で、このcorrector職の設置が与えたイタリア諸都市への影響が深く議論されることはなかった。先行研究においては、所謂「3世紀の危機」、あるいはディオクレティアヌス帝の他の諸改革から類推して、皇帝や総督による都市支配の強化、という文脈の中に位置づけられてきたのである。

 しかし、「3世紀の危機」の影響は地域によって大きな違いがあり、ディオクレティアヌス帝の諸改革もその治世を通して漸進的に進められたものである。従って、一見、都市に対する管理強化を物語るかのように見える史料も、慎重な検討が必要である。

 そこで、イタリアの「属州化」を考えるに際して、本報告では、北イタリア・コモで発見された碑文に注目する。この碑文では、ディオクレティアヌス帝らの命令によって、correctorが神殿を奉献したこと、そして、その事業を都市監督官が監督したこと、が伝えられている。この碑文は、同時代のイタリアでは数少ない皇帝・corrector・都市監督官の三者がそろって登場する事例であり、しばしば皇帝あるいは総督によって都市への管理が強化されたことを示すものと見做されてきた。

 この碑文が示す状況を再構成するために、まず、都市への管理を強化する立場にあったとされるcorrector職の設置と変容について論点を整理し、関係する碑文史料の解釈を提示する。それにより、この碑文がイタリアの州分割の過程で、どの時期に位置づけられるのかを明確なものとする。その上で、この碑文に記された事業がどのような過程を経て実現したのか、コモ市と都市監督官・皇帝の間の関係を軸に考察をすすめていく。

 同時代の他の碑文や法史料に基づいてこの碑文を検討していくと、皇帝や総督が都市に対して管理を強化したことを示す事例とは解釈できない。むしろ、有力者の影響力を利用して、皇帝からの恩恵を獲得していく都市の姿が見出される。本報告により、所謂「3世紀の危機」を経た後も、総督の厳密な管理下に置かれただけではなく、活発に活動するイタリア都市の姿を示すことが出来るだろう。



魂と老い――プラトンとアリストテレスの老年観

瀬口 昌久

 シモーヌ・ド・ボーヴォワールは老年に関する先駆的な著作『老い』において、「プラトンとアリストテレスは老年について考察し、正反対の結論に達している」と指摘している。プラトンが老年を高く評価したのに対して、アリストテレスは老年を悲観的に描いており、その対照的な老年観は彼らの哲学の基礎をなす心身観の差異に深く根ざすものであり、政治理論における異なる態度にまで及んでいると主張したのである(la vieilless,Galllimard, 1970, pp.174-180)。これに対してSimon, B.Y.L.は、プラトンとアリストテレスが老年について述べているテキストを調査して、プラトンもアリストテレスと同様に老年を衰弱としてみなして、老年が進むと共に人間の魂の知的働きは衰えると考えており、他方で二人の哲学者は共に賢者の老年を賞賛し、老人に敬意を払い両親を敬っていると主張した。つまり、Simonはプラトンとアリストテレスの老年の考えは基本的には一致しているとしてボーヴォワールの見解に反論を展開したのである(Plato et Aristotle ont-ils professe des vues contradictiores sur la vieillesse?, LEC42, 1974, pp.113 -26)。

 本研究発表では、Simonの批判の再検討からはじめ、プラトンとアリストテレスが老年に対してどのような点で異なる考え方をもつのかを論じ、プラトンの「楽観的」な老年観とアリストテレスの「悲観的」な老年観が、それぞれの異なる心身理解に裏打ちされたものであることを考察したい。プラトンは生命の本質的特徴を運動とみなし、思考と身体を自分で動かすことができる運動を魂とし、魂を生命と運動の原理とする世界理解のもとに、老年の生理学的メカニズムを描きながら、どのように老年を、すなわち人生の全体を最後までよく生きうるかを探求している。これに対してアリストテレスは、プラトンの生理学的説明の一部を取り入れてはいるが、生命の特徴を身体の体温と呼吸作用におき、魂を身体の現実の活動とみなして、身体現象として老いのメカニズムを探求している。魂は栄養摂取を司る役割を果たしているが、魂がもつ意志や知性の役割はそこでは語られることはない。老いは自然学の一環として観察され、身体器官に即して解剖学的にメカニズムが探求されている。

 老年についての西洋思想の歴史的分岐点ともいうべきプラトンとアリストテレスの老年観を考察することは、われわれの老年観を再考することにもつながると期待できる。プラトンのテキストとしては『国家』『ティマイオス』『法律』、アリストテレスに関しては『レトリカ』『デ・アニマ』『自然学小論集』(『長命と短命について』『青年と老年、生と死について』『呼吸について』『気息について』)の関連箇所が検討される。



大迫害勃発の経緯に関する一考察

保坂 高殿

 キリスト教迫害史の最後に位置する大迫害は303年、ディオクレティアヌス帝第一勅令をもって開始されたとされる。その第一勅令公布に至る経緯についての現存する主史料はラクタンティウス『迫害者の死』とエウセビオス『教会史』だが、両史料には多くの食い違いが確認され、勃発への経緯を再構成するにはその比較検討が不可欠となる。本発表はこの史料批判を通して第一勅令発布に至る経緯を再構成することを主眼とする。

 エウセビオスによれば、大迫害には軍内部での信徒迫害という序曲が先行し、この序曲は教会内部の紛争が原因で始まったとされる。しかし帝都教会内部の対立が軍迫害を引き起こしたという因果関係付けは理解し難く、史実としては認定できないため、軍迫害の原因は別のところに探し求めねばならない。そして軍人信徒殉教の証言は第一テトラルキア体制が成立した293年直後から文献に現れ始めた事実に注目すれば、軍迫害は軍規引き締めを通して体制強化のために伝統主義的見地から実行されたと推測される。

 殉教者文書によれば、軍迫害とは信仰告白者一般に対する処罰ではなく、軍関連の異教儀礼拒否者の処罰であるゆえ、迫害前の時期においては拒否者は処罰されていなかったことになる。つまりエウセビオスが証言する宮廷内の、そして公職にあった信徒に対する供犠免除特権は軍人信徒にまで認められており、この状況は「ガリエヌスの平和」以来存続していた。それがテトラルキア体制確立後に、まず軍において撤廃され、少数ながら軍人殉教者が現れ始めたのである。

 教会の内紛と迫害との因果関係についてはエウセビオス証言の逆が史実であったと思われる。教会は3世紀初頭以来公式には軍役に原則否定的であったが(『使徒カノン』、ヒッポリュトス『教会規則』)、現実には軍人信徒が存在し、軍役奉仕およびそれに伴う異教儀礼への参加を黙認して問題解決を先送りしていた。それが290年代に入り軍迫害が開始されると、教会は「神のもの」と「カエサルのもの」とのどちらに与するのかという形で再度問題を提起し、帝都教会を含む諸教会内で意見対立が生じたと思われる。セウェルス朝期、殉教の是非に関し内部対立が生じたのも現に迫害が生じた地域アフリカからであった。同時期、殉教を無益な自殺行為として断罪したコプト語冊子『ナグハマディ文書』もエジプトの成立である。

 303年の第一勅令は、軍迫害が奏功しなかった原因を帝が教会指導者の厳格派の姿勢に求めたためにマニ教に対すると同様、教会中枢に対しても法的および物理的攻撃の必要性を感じ取った結果公布した法令であり、それにより、供犠免除特権剥奪対象が軍および宮廷の信徒から、世俗の公職にあった聖職者へと拡大されることになった。

 内紛は314年のアルル教会会議カノン三(「平和時に武器を捨てた者たちは教会から排除されるべき」)にその痕跡を留めている。これは軍隊からの脱走を戒めることで帝国への協力を要請した宣言ではなく、逆に、―― <キリストの兵士>を念頭に置いた表現であるゆえ――教会は迫害終了後の「平和時」にも<キリストの兵士>として戦闘を継続せねばならないことの宣言、つまり帝国に非協力的な厳格派の立場表明である。



プラトン『ピレボス』で一なる「快」が語られる場所

荻原 理

 快の多様性を強調し快の諸種類を区別する本篇のソクラテス(S)は、快の一性をどう押えているか。

 D.フレーデによればSは快一般を、自然的調和状態の回復過程に存するものとする。だが例えば予期や想起の快は何の調和状態の回復過程にも存しないのだ。Sは全種類の快に共通の快規定など与えていないと思われる。

 さて、「どう生きたいか」の問いに「快をおぼえながら」と答える者、「生において快が欲しいか」の問いに然りと答える者はその時、一なる「快」を話題にしている(cf. 21d9-e4)。この快は具体的経験の対象ではない(上で触れた諸種類の快は具体的経験の対象だが)。その快は、快というものそれ自体への欲求の志向的対象として存する。これを<快というもの>、<快>と表記しよう。<快>は本篇で、通常解されているより重要な役割を演じている。我々に<快>への欲求があることは、一つには「快」という語の存在(12c6-7)、一つには魂の身体との結合と関連していよう。<快>と具体的諸快の関係は見難く、このため「一と多」の問題は快については格別難しい。

 本篇で<快>が話題になる諸箇所。

 20e-22で、「<快>の生」が善き生なのか、つまり、<快>への欲求の充足が善き生の実現なのかが吟味される。事実上の標的たるピレボス説が<快>に見る善さとは一重に、快感のパトスのそれである。だから、「<快>の生」から一切の認識的要素を除去するSの措置は強ち不当ではない。

 26bc, 27e-28aで快が「無限定」だとされる。これは幾つかのことを意味すると思われるが、<快>はそのままでは無規定だということ、<快>への欲求はそのままでは無際限だということが含まれていよう(具体的諸快の間で大きさの比較ができるということも)。

 65a-66aで<快>と<知>のどちらが善に近いのか、つまり、<快>への欲求の充足と<知>への欲求の充足のどちらが善の実現に近いのかが判定される。比較されているのは、善き生に含まれる諸快と諸知ではなく<快>と<知>なのだ。だから判定の際プロタルコスが性愛の快を引き合いに出すのは不適切ではない。<快>への欲求を愛欲に代表させるのは自然だからだ。

 Sは確かに快楽説批判の一環として、快を専ら一なるものとして捉える把握を退けるが、<快>について語る場所を最後まで残す(これと関連して、「純粋な快」を快の典型的種類と見る視点〔53bc〕と並んで、「強烈な快」をそう見る視点〔44e-45a〕を最後まで残す)。Sがそうするのは、<快>の語りは、そして<快>への欲求は、消そうにも消せないからだろう(快の存在自体を否定する「気難しい人々」〔44bd〕の無理と比較せよ)。Sは<快>への欲求を消すのでなく「限定し」救おうとする。ここに人間の条件への後期プラトン的注視がある。



『オデュッセイア』21巻の弓競技におけるテーレマコス

安村 典子

 『オデュッセイア』21巻の弓競技の場面は、『オデュッセイア』後半の山場であるといえよう。求婚者たちにとっても、乞食に扮しているオデュッセウスにとっても、それは待ちに待った日であった。人々の前に大弓が置かれたとき、その場の緊張は頂点に達したはずである。ところがそのとき、テーレマコスは自分もその弓を試みてみたい、との驚くべき言葉を発する(21.113-7)。この場面のテーレマコスには、この言葉を含め、以下に述べるような、いくつかの奇妙な点が見られる。それらの問について考察し、弓競技におけるテーレマコスの言動に対して新しい解釈を加えることが、本発表の目的である。

 まず第1に、何故テーレマコスが最初に弓を引くことになるのか。弓競技は「婿選び」の手段である。そして「婿選び」の対象としては、テーレマコスは最も遠い存在である。『オデュッセイア』詩人は、テーレマコスが「弓を試みてみるため」という説明をつけ、ひとまず納得のゆくような筋の運びを展開している。しかし、この場面の状況は、「試みてみる」というような遊び半分の好奇心を許さないような、緊迫した瞬間のはずである。しかし求婚者の誰一人としてテーレマコスの試みを阻止する者はおらず、実際に彼を引き留めたのは、そこにいた乞食(オデュッセウス)であり、しかもそれは、テーレマコスが4回目にようやく弦を張れそうになったその瞬間であった。何故このようなエピソードが語られているのか。この場面に続く大殺戮の前のこの小さなエピソードは、一体何を意味しているのか。

 第2に、上記のテーレマコスの発言の、21巻113-7行のギリシア語文章は非常に難解で、これまでに様々な読み方が試みられている。テーレマコスはこの言葉によって一体何を言おうとしているのか。

 第3に、上記の言葉の少し前に、テーレマコスは「ノ大切な母が他の男に随って、この屋敷を出るといっているのに、私は愚かにも笑って嬉しがっているノ」(21.103-5、松平千秋訳)とも言っている。テーレマコスのこの異様な昂揚は、何を意味するのか。  これらの一連の不可思議ななりゆきの奧には、何か深い意味が隠されているのではないだろうか。それは、古代ギリシア神話の中に繰り返し問い返されている、父と子をめぐる相克に関係しているのではないかと考えられる。

 父と子をめぐる相克、それに対して母が隠然たる力をもって子に荷担する、という構図は、いくつかのギリシア神話のなかに見受けられる。たとえば、ウーラノス、クロノス、ゼウスの、三代にわたる主権交替神話のそれぞれや、オイディプース伝説などである。このような「父と子の相克」という視点からこれらのテーレマコスの言動を考え、この弓競技の場面の奧に暗示されているものなど、いくつかの問題に対する解釈の試みを提示したい。



特別講演:ヤコブス ホイエル(1651-1689)とホメロス研究

久保 正彰

 ヤコブス ホイエルはXVII世紀後半、オランダ、ユトレヒトの人であり、優れた法学者としてまた卓越した古代ギリシャ学の研究者として、当時の人々には知られていた。しかし歿後その名は伝わらず、2002年までは、大英図書館に保存されていた彼の蔵書目録が辛うじて所有者の存在を告げているに過ぎなかった。発表者は、所有するアルド版ホメロス全集 (Homeri Opera, Venetia, 1517) の欄外余白に書き込まれた約500片の注記を手懸かりとし、この注記者の学問的背景と筆跡の特色を判断の材料として、それがヤコブス ホイエルその人のものであることを確定した(日本学士院紀要、57(2003)、pp.235~275)。その後発見された幾つかの重要関連資料を念頭にしつつ、新しくヤコブス ホイエルの〈未完の〉ホメロス研究の特色を、・ 読みと句読点;・ XVII世紀とホメロス世界:時空の隔たり;・ 詩と真実と人間性、という三つの角度から尋ねることが、今回の発表の趣旨である。