訳者からのメッセージ

中務哲郎:アイリアノス『動物奇譚集 1,2』

アイリアノスの典拠表示について

 この度、アイリアノス『動物奇譚集 1,2』を上木することになったが、これが西洋古典叢書の20周年記念に重なるところから、版元の京都大学学術出版会は粋な計らいをしてくれた。通常のジャケットの上に全帯を掛け、更に各冊に2葉の口絵まで挟んで下さったのである。全帯は内山勝利さんが「ロッド・モザイク」(Lodはエルサレム西北の都市)より選んで下さった絵を元に専門家がデザインしたもの。絵そのものが古代人の動物世界との親昵ぶりをよく表しているとか、伊藤若冲を思わせると好評をいただく一方、図書館では配架にあたり、常のカバーと今回の重ね着とを泣く泣くひっぺがしているとも聞く。

 閑話休題。『動物奇譚集』には海豚など海の哺乳類を含む獣の話281、魚及び水中生物の話155、鳥の話139、爬虫類と両生類の這うものの話72、虫及び多足の生き物の話54、各種生物の混在するものと架空の動物の話91が収められるが、半ページに満たぬ短い章が多く、古代の博物学・動物報恩譚と動物恋愛譚・神話・歴史・文献学等々の観点から見ても、面白くて読みごたえのあるのは1、2割にとどまるのではないかと案じる。ゲッリウス『アッティカの夜』にも採録される「アンドロクレスとライオン」、本書にしか見えぬ故に貴重な「鷲に救われたギルガモス」、夏目漱石『吾輩は猫である』にも紹介される「アイスキュロスと亀」、こういったお勧めの話題は数えるほどしかない。

 アイリアノスはブッキッシュな作家で、「ローマ字を書く象」(2巻11章)、「カメレオンの変色」(2. 14)、「蛙の雨」(2. 56)、「馬車を御す猿」(5. 26)、「蜥蜴の失明の回復」(5. 47)等、自らの観察を記す場合もあるとはいえ、殆どの話が書物からの引用である。「典拠索引」を作ってみたところ、古くはホメロスから魚の専門家と思しきビュザンティオンのレオニダスまで、先行著作家は104名に上ったが、アイリアノスが全てその原典に当たったとは考えにくく、例えば最も引用回数の多いアリストテレス『動物誌』については、ビュザンティオンのアリストパネス(前3/2世紀)による抜粋に基づくことが明らかにされている。その一方で、プルタルコス『動物の賢さについて』とオッピアノス『漁夫訓』は一度も名前が挙げられないけれども、話の配列や語句の一致から、アイリアノスが親しく読んだことは間違いないと考えられる。アテナイオス『食卓の賢人たち』(200年頃)とアイリアノス『動物奇譚集』『ギリシア奇談集』との内容上の一致も多いが、世に出たばかりの『食卓の賢人たち』をアイリアノスが用いたのか、両者に共通の典拠があるのか、決定しがたい。いずれにしても、今日の学者が孫引きや典拠隠しを強く戒められていることからすると、孫引きする著者の名前は記すのに親しく読んで依拠した作者の名を示さぬアイリアノスの態度は甚だ不明朗であると言わざるをえない。

 さて、それではアイリアノスは情報を得ることをどのように言い表しているのであろうか。『動物奇譚集』では「後序」にἀνάγνωσις(読書)という語が見える他、「読む」という動詞が使われることはない。最も頻繁に使われるのはἀκούεινとその関連語(ἀκούω, ἤκουσα, ἀκήκοα, προσακούω, προσακήκοα)、次に多いのがπυνθάνεσθαι(πυνθάνομαι, πέπυσμαι. 聞き覚えた、教わった、などと訳した)で、εἰς οὖς ἐμὸν ἧκεν(私の耳に入って来た)や καὶ εἰς ἀκοὴν τὴν ἡμετέραν ἀφίκετο(私の耳にも届いた)というのもあった。Liddell-Scott-Jonesによるとἀκούεινの基本的な意味はto hearで、そこからto know by hearsay, hear and understand, obeyなどの意味が派生するが、οἱ ἀκούοντεςでreaders of a bookの意味にもなるという(Polybius 1. 13. 6 他)。『動物奇譚集』11.1でもἡνίκα τοῖς ἀκούουσιν λῷον ἔσται「読者に好都合な時」と訳したところがある。

 一般論として、少なくとも前5世紀の終わり頃までは文字による伝達より言葉による伝達の方が主流で、詩・物語・歴史・弁論等どの文学形態にあっても読むよりも聞くのが普通であったから、作者がγράφειν(書く)という代わりにλέγειν(語る)、読者がἀναγιγνώσκειν(読む)という代わりにἀκούειν(聞く)がよく使われたという(A. W. Gomme, A Historical Commentary on Thucydides. Vol. I. Oxford 1945, p.139. I巻21章τῇ ἀκροάσειへの註釈)。トゥキュディデスの『歴史』は「聞く人」にとって永遠の財産であるのか「読む人」にとってそうなのか、決めるのが難しいのである。このような背景があり、『動物奇譚集』におけるἀκούεινについてもどう訳すか迷ったことが少なくない。アイリアノスが耳学問で情報を仕入れたのなら素直に「聞いた」でよいし、秘書とか右筆のような人に朗読させて「聞く」可能性もある。しかし、
ἐγὼ δὲ ἀκούω λέγοντός τινος ἐν συνγραφῇ (2. 53)
「ある人が著作で言うのを聞く」は「ある人の著作で読んだ」と訳してよかろうし、
ἐν Αἰγυπτίοις λόγοις προσακήκοα (10. 29)
これは「加えてエジプトに関する記録の中で読んだ」としてよいのであろう。その結果、
Ἀριστοτέλους ἀκούω λέγοντος (7. 7):アリストテレスの説で読んだ。
Αἰγυπτίων ἀκούω λεγόντων (7. 8):エジプト人が語るのを聞いた。
という風に、恣意的に訳し分けることにもなったのである。

中務哲郎

書誌情報:中務哲郎訳、アイリアノス『動物奇譚集 1』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2017年5月)
     中務哲郎訳、アイリアノス『動物奇譚集 2』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2017年6月)