西洋古典学への誘い

西洋古典学を学ぶきっかけ

 ギリシャ悲劇との出会い

 私が西洋古典学の扉を叩くきっかけになったのは、「古典を読む」ということの持つ独特の魅力に気づいたことだ。実を言うとそれまでの私は、古典に対してあまりよい印象を持っていなかった。色褪せて埃をかぶり、図書館の奥で眠っている書物を引っ張り出してきて、眉間にしわを寄せながらそれと向き合うことは、お世辞にも面白そうだとは思えなかった。それよりも新しいものが読みたいと思い、実際にそのようなものばかり読んでいた。

 けれどその印象は間違いだった。それに気づかせてくれたのが、『オイディプース王』というギリシャ悲劇だった。この作品は現代思想の文脈でも言及されることが多く、名前だけは知っていたのだが、大学での授業の合間、ふと手に取ってみた。1時間か2時間ほど、馴染みのない劇の形式に多少の戸惑いを感じながら、夢中に読んだ。そして感動とともに本を閉じた。時間的にも空間的にも遠く離れた「古代ギリシャ」から、直接呼びかけられているような、不思議な感動だった。そしてその呼びかけには、同時代の作品を読んでいてしばしば感じる退屈に比べて、新鮮な響きがあるように思えた。私はそれまで進もうとしていた現代哲学から、西洋古典学へと専攻を変えた。

 それからギリシャ語の勉強を始めて、(その難しさに途中で何度もあきらめかけながら、)今では毎日ギリシャ悲劇の原文と向き合っている。始まりのときに聞こえたように思えた古代からの声は、いつもはっきり聞こえるわけではないけれど、それでも時折、深い闇の中からほのかに、聞こえてくるように思えることがある。その声を聞きたくて、辞書を引きつつ原文に向かうのだが、そこには、もしかしたらまだ誰も聞いたことのない声を聞きうるかもしれないという、スリルと快楽がある。

堀川宏(京都大学非常勤講師)