古典学エッセイ

中務哲郎:アイリアノスは我らの同時代人

 アイリアノス『動物奇譚集』の典拠は動植物を飼育・栽培して観察実験を行ったアリストテレスやテオプラストスといった哲学者、プリニウス、プルタルコス、オッピアノス等の博物誌・動物誌の著作家、ミュンドスのアレクサンドロスらの驚異譚編者などであるが、その記すところは今日の動物行動学の知見から見て幼いところがある反面、昔も今も見方はさほど変わらぬと思わせられることも少なくない。これについて、幾つかの話題を記したい。

 (1) 動物が人間に恋する話は松原國師さんが『動物奇譚集 1』への月報「恋する動物たち」で多数抜き出して下さったが、三嶋輝夫さんからも、飼育員に恋をした白熊がその人と別れてノイローゼになったというテレビ番組のことを知らせて戴いた。動物恋愛譚と動物報恩譚は本書中一大グループをなすが、今も経験することの多い話柄である。

 (2) 熊の仔の整形(2巻19章)。

 2017年6月12日、上野動物園のジャイアントパンダ、シンシンが仔を生んだ。産後の様子を報じるテレビを見ていると、シンシンが白い塊を口に銜え、食べてしまうのではないかとはらはらさせた。しかし、その小さなものを舐め乳のところへ持ってゆく姿は、正にアイリアノスの熊の記述を思い出させた。熊は形のない肉の塊でしかないようなものを生むが、これを腿の間に入れて温め、舌でなでつけ、四肢を浮き出させて熊の仔に見えるものにしてゆく、と。

 (3) 仔猫を殺す雄猫(6巻27章)。

 雄は火のように熱い精液を放ち雌の性器を焼くので、雌は交尾を避ける。雄はそのことを知っているゆえ、仔猫を殺して、子供を欲しがる雌に次なる情交を促す、と。ヘロドトス(『歴史』2. 66)の説明はやや単純で、雌は仔を生むと雄に寄りつかなくなるので、雄は仔を盗んだり殺したりして、子供好きの雌がまた寄ってくるようにする、という。ハヌマンラングールの群れで、余所からやって来た若い雄が元からいた雄と雌の仔を殺す例が報告されたことはよく知られている。

 NHKテレビ「ダーウィンが来た!」(2017年6月18日)で見たばかりのことだが、オーストラリア、カカドゥ国立公園の湿地に棲むトサカレンカクも子殺しをするという。この鳥は一妻多夫で、雌が生んだ卵を数羽の雄が孵し育てる。縄張りを持たぬ雌が外からやって来て、雛を殺し、育ての雄と番いになりたがる、というのである。

 猫や猿の場合は、雌に発情・交尾を促し自分の子を生ませるために雄が仔を殺す、とする説明があるが、トサカレンカクの場合は、雛を殺すことによって雄の育児本能をかきたてる、ということになるのであろうか。

 (4) 頭を下げる鶏(4巻29章)。

 雄鶏はドアを潜る時、頭を打つ懼れのない高いドアのところでも身を屈める。こんな気障なことをするのは、どうやら鶏冠を大切にするためらしい、と。このことが実際にあるのかどうか、マルティン・チエシュコさんは母国スロバキアの甥御さんに、飼うところの鶏で観察するよう頼んで下さったが、そのようなことはなかったそうである。ところが、ディケンズ『荒涼館』に近いのがあった。「六メートルもの高さがある古い門をくぐる時にわざわざ身をかがめる不平居士のガチョウは、その門が地面に影を落とすような天候の方が好ましい旨を、よちよち歩きながらガチョウ語でガーガー発しているのかもしれない」と(佐々木徹訳『荒涼館 1』岩波文庫、200頁)。雄鶏の習性に関するアイリアノスの解釈は正しいのであろうか。

 (5) ナイチンゲールの幼鳥が求められるわけ(3巻40章)。

 冥界からエウリュディケを連れ戻すことにしくじったオルペウスは7ヶ月の間泣き続ける。その様は「まるで夜鳴き鶯が、ポプラの葉陰で悲しみに暮れ、失った雛たちを嘆いているかのようだった」という(ウェルギリウス『農耕詩』4. 511以下、小川正廣訳)。ナイチンゲールの嘆きはギリシア・ラテンの文学ではあまりにもよく知られた文学的トポスであるので、なぜここでナイチンゲールの譬喩が用いられるのか、私は考えてもみなかった。(トラキア王テレウスは妻プロクネの妹ピロメラを犯し、罪の露見を怖れてその舌を切る。姉妹は復讐のため、プロクネとテレウスの間の子イテュスを殺して料理し、父に食わせた。姉妹は夫に追われるが、神々の計らいでプロクネはナイチンゲールに、ピロメラは燕に変身し、プロクネは我が子恋しさに鳴き続ける)。

 アイリアノスの記すには、ナイチンゲールは自由を愛すること熱烈な鳥で、捕まって籠に閉じ込められると、食を絶って歌うことを止める。そこで人々は、幼鳥を捕まえて歌を教える、という。私は同じようなことを野鳥観察の会で聞いた。鳥獣保護法というものがあるにもかかわらず、メジロの雛を1羽300万円で取引して鳴き合わせをする人たちがいる、という。私はそれを聞いて、「うちの庭には毎日600 万円飛んで来るので捕まえましょうか」とふざけたところ、成鳥は声が固まっているのでダメ、美しい鳴き方をする鳥の下で雛を教育しなければならぬ、ということであった。古代人もナイチンゲールの雛を捕まえて鳴き方を教えたということは、鳴き合わせの習慣をもっていたのであろうか。 

 (6) 氷結の固さを知る狐(6巻24章)。

 トラキア人は冬季、氷結した河を狐が渡るのを見届けた上であとに続く。狐は氷に耳をつけ、底を流れる水音で氷の厚さを測る、と。これに関連して、イストロス(ドナウ)河の氷結の記事もある(14巻26章)。黒海西岸トミスに流謫の身となったオウィディウスもそのことを嘆いているが(『悲しみの歌』3. 10)、私はドナウが氷結するようなことがあるのだろうかと疑い、web上で調べたところ、誤って氷の河に転落し氷詰めになった狐の記事を見つけた。そこで6巻24章への註で、「www.schwaebische.de 2017年1月12日の記事」を指示しておいたが、これでは目的の記事に辿り着けないとの指摘を戴いた。その不備をお詫びかたがた、そのサイトの検索窓に Fridinger Fuchs friert in der Donau ein と入力していただくとその画面が出て来ることをお知らせしておきたい。

中務哲郎