古典学エッセイ

安村典子:アグノスとミルテ

 古典作品の中に登場する数多くの植物の中で、私が庭で育て、とりわけ大事にしている2種の花木を紹介したいと思います。

・アグノス (Vitex agnus-castus)

 アグノスの和名はセイヨウニンジンボクで、花期は7月と10月です。7月が主要な花期ですが、夏の暑さが終わった頃に再び蕾をつけ始め、秋にもう1度、目を楽しませてくれます。つまり1年に2度も花を咲かせてくれる、とても律儀な花木なのです。今は11月、朝晩の寒さが身にしみる頃ですが、今年の最後の花が、7つ8つ、小さく咲いています。

 アグノスはプラトンの『パイドロス』に言及されています。ソクラテスとパイドロスの対話が行われたとされる丘に咲いていた樹木で、この対話の重要な舞台装置となっています。

 ソクラテス:おおこれは、ヘラの女神の名にかけて、このいこいの場所のなんと美しいことよ!プラタナスはこんなにも鬱蒼と枝をひろげて亭々とそびえ、またこの丈高いアグノスの木の、濃い陰のすばらしさ。しかも今を盛りのその花が、なんとこよなく心地よい香りをこの地にみたしていることだろう。
  『パイドロス』230B  藤沢令夫訳

ソクラテスは夏のある日、パイドロスに案内されてアテナイ郊外に散歩にでかけ、イリソス川のほとり、木立におおわれた丘にやってきます。そこに枝をひろげていたアグノスの木陰で、草の上に横たわり、そよ風にふかれ、アグノスの花の香りを楽しみながら、パイドロスと対話を始めることになっています。

 プラトンは対話編を記すにあたり、その対話が行われた場や時期を明確に設定しています。『響宴』では悲劇作家アガトンの祝勝会の模様をアポロド−ロスが報告しますが、アポロド−ロスはその祝勝会に出席したわけではなく、別の人からのまた聞きで語る、という複雑な構造となっています。『国家』はペイライエウスで行われたベンディス祭の翌日、という設定となっていることは良く知られているとおりです。それぞれの対話の内容と状況設定との間にどのような関連があるのか、この問題にここで深く立ち入ることはできません。しかし少なくとも、当該の対話がどのような場・状況のもとで行われたとするのか、このことはプラトンにとって重要な問題であったことは間違いないと思います。

 『パイドロス』で語られる内容と、アグノスの花咲く丘との関係について、両者の間に密接な関係があるとの指摘がすでになされています。

「…蝉の声だけが聞こえるイリソス川の静寂な自然、あたりの何か神聖な気配は、この対話編の中で折にふれて(疑いもなく意図的に)言及されるところであるが、つねひごろ自然よりも人間を愛してアテナイの町を出たことのないソクラテスは、このような雰囲気のただなかで、土地の神の霊感にみたされたと言いながら、いつもの彼のわくを大きくふみこえて…雄大な物語(ミュートス)を語って聞かせ、そしてその中でイデアと魂に関するプラトン哲学の中心思想の数々が、多彩な想像心像によって表現され定着された。…本編における上述のような対話と想念の明るくのびのびとした展開の中に、アカデメイアの仕事も軌道に乗り、ライフワークの一つともいえる大作『国家』を書き上げた後の頃の、プラトンの幸福な開放感を見ることができるであろう。晴れわたった明るい夏の一日、静寂な自然の中という状況設定は、そのまま、このような時期における作者自身の気持の表現であったかもしれない。」
   藤沢令夫 『パイドロス』解説、『プラトン全集 5』岩波書店1992, pp297-8

ソクラテスは霊感に満たされ、アグノスの花の香りに陶然としている。明るく爽やかな美しい木立は、プラトン自身の心情を映し出すものであったという。このようにアグノスの花咲く丘は、『パイドロス』という対話が成立するうえで重要な役割を果たしていると思います。

 庭で撮りましたアグノスの写真をご覧頂きたいと思います。香りが良いので、蜜蜂や蝶が集まってきます。アグノスは花のみならず、葉もとても繊細で美しい形をしています。笹のように細く3本に分かれ、風にそよぐと、とても涼しげです。

* * *

・ミルテ (Myrtus communis)

 ミルテの和名は銀梅花です。フトモモ科の植物で、5弁であるために「梅」の字が用いられたと思われます。英語ではマートル(myrtle)です。アフロディーテー、あるいはデーメーテールの花とされ、結婚式のときに、花嫁がミルテの花冠を頭に飾ったと言われています。アフロディーテーの花と聞いて、豪華で派手な花を想像する人もおられるでしょう。しかし実際は、とても可愛らしい、真白の清楚な花で、6月頃に咲きます。数えきれぬ程の細い雄しべが丸く広がった様は愛らしく、繊細で息をのむような美しさです。直径5ミリ程の丸い蕾もとても可愛らしく、ミルテの魅力のひとつとなっています。

アリストパネースの『鳥』では、鳥に扮したコロスたちが次のように歌います。   

そして春には、乙女のように真白い花のミルテと、
カリス女神たちの花園で、私たちは育まれるのです。
  『鳥』1099-1100

ミルテには小さな実がなります。6月末に花が咲き終わった後、ゆっくりと時間をかけて実をつけ、9月末頃にようやく緑色の実が見え始めます。11月初め頃に黒く熟しますが、この頃まで待っていると、私の庭では、すべての実が鳥に食べられてしまいます。ミルテを植えてからもう15年ほどになりますが、これまで一度も、実を採ることができませんでした。そこで今年はミルテ酒を作ろうと思い、やむを得ずまだ緑色の実を採って、果実酒用のブランデーに氷砂糖と共に漬け込んでみました。友人のお宅でご馳走になり、とてもおいしかったので、是非私も作ってみようと思ったのです。地中海地方では、ミルテの実で作ったミルトというリキュールを売っているそうです。

 ミルテと言えば、ハイネの詩が有名です。

むかし夢見た灼きつく恋を
きれいな髪にミルテにレセダ
甘いくちびる苦いいいわけ
かなしい歌のかなしいしらべ

ミルテと並んで歌われているレセダは、日本ではあまり見かけない花で(和名 モクセイソウ)、アオヤギソウに似た房咲きの花です。この花を房のまま髪に挿すことは難しいので、小さな花をひとつずつ糸で繫いだのか、と思われます。

 ポンペイのフレスコ画「フローラ」(ナポリの考古学博物館蔵)は、花の精フローラが花を集めている魅力的な作品です。背景の緑がとても美しく、印象的ですが、フローラが集めている花は白い小さな花です。これをミルテであると断定することはできませんが、草にしては丈高く、樹木のように真っ直ぐに伸びた茎(幹)、小さい葉の形状などから考えると、ミルテのような花が描かれている可能性は高いと思われます。

 古典学とは関係がないのですが、アメリカ文学を代表する作品の一つといわれるスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』にも、ミルテの名が見られます。この作品には二人の重要な女性が登場し、二人とも花の名前が付けられています。ひとりはデイジー、もうひとりはマートルで、このマートルとは前述のとおり、ミルテの英語読みです。マートルはデイジーの運転する車に轢かれて死んでしまいます。ミルテの花は開花してから1−2日で、はらはらと散ってしまうので、マートルの早すぎる死は、このことに関連づけられているのかもしれません。ミルテは桜のように、散り際の美しい花です。

 ミルテの花は短命ですが、数多くの蕾をつけるので、蕾が次々と咲きます。生命の死と再生を連想させるからか、ミルテは永遠を象徴する花であるとも言われます。エデンの園に「善悪を知る樹」と共に植えられていたとされる「生命の樹」(『創世記』2.9)は、ミルテをモデルにしたとする説もあるほどです。

 庭のミルテの写真を掲載します。丈夫で成長も早く、15年前には20センチくらいの小さな苗でしたが、今では3メートルを越えるほどとなりました。今年は実を採った後に大幅に切って、2メートルほどの高さに剪定しました。

 

 

 

安村典子