古典学エッセイ

オグデン江里子:ピンドスと不思議な蛇

2013年に入り、干支は辰から巳へと変わった。昨年のシンボルであった龍は、様々な神話や民話の中で神の化身、或いは神の使いとして描かれ、十二支の生き物においては唯一の想像上の存在として考えられている。龍の場合と同様に、蛇に関しても色々な神話や民話が存在するので、今回は古代ギリシア文化に即して、神聖な蛇の話を紹介しようと思う。

アイリアノスの「動物の本性について」の第10巻48章には、マケドニアにまつわる神話が記されている。その内容については、アイリアノスが、紀元前3世紀の歴史家であるテアゲネスの「マケドニカ」から得たという推測もなされているのだが、ここには、マケドニアという地名の由来となったマケドンの息子ピンドス、そしてピンドスが出会った不思議な蛇の話が書かれている。

その話によると、快活な美青年ピンドスは、自分が3人の兄弟たちに妬まれていることを恐れていたので、父親の王国を離れ、近隣の地で自活することにした。ある日、ピンドスが狩りで鹿たちを追いかけていると、その鹿たちが深い渓谷へと走り去って姿を消したので、そのまま追跡しようとしたところ、「鹿たちには触れるな」という不思議な声を耳にした。ピンドスはその場では声の忠告に従ったが、次の日、声の主を確かめようと考えて同じ場所に戻ると、人間の体の大きさを遥かに上回る巨大な蛇に遭遇した。恐怖におびえたピンドスは、蛇の怒りを鎮めるために、その日に狩りで捕まえた鳥をささげた。すると、蛇はピンドスに危害を加えることなく立ち去って行った。それ以来、ピンドスは定期的に蛇のもとを訪れ、いつも狩りで得た最上の獲物をささげた。こうして蛇に捧げ物を続けていくと、ピンドスは狩りで沢山の獲物を得られるようになり、豊かな暮らしを送れるようになった。さらにまた、彼の美貌は老若男女を魅了し、人々から賞賛を受けることとなった。しかし同時に、兄弟たちのピンドスへの憎悪は増し、兄弟たちはピンドスを待ち伏せして、或る川のほとりで殺害するのである。蛇は、ピンドスの死に際の叫び声を聞いて駆けつけ、3人の兄弟たちを押しつぶして殺した。その後、蛇は、親族が遺体を引き取って埋葬できるように、ピンドスの体を守護するのである。遺体はこの川のほとりに埋葬されたため、この川はピンドス川と名付けられた。

ひとつの読み方として、この話は明らかに、ピンドス川の名の由来を伝えるものであり、この川とマケドニア王たちとの結び付きを示すものと解釈されるわけであるが、ここに登場した不思議な蛇はどのような存在であったのだろうか?神的な力の化身、また、富と豊かさをもたらすものとしての蛇は、紀元前5世紀末に顕著となった、富や幸運をもたらすタイプの神に類似している。

このタイプの神で、最もよく知られている例がゼウス・メイリキオス(柔和なゼウス神)である。この慈悲深い家族の守り神は、髭をはやして王座についている、通常慣れ親しまれている姿で現れたりもするが(参照:クセノポン、「アナバシス」、第7巻8章1-6)、巨大な蛇の姿で現れることもある。アテナイとペイライエウスでは、紀元前4世紀の奉納物と考えられる、蛇の姿をしたゼウスの浮き彫りの石碑群が見つかっている。それらの石碑は、参拝に訪れた家族らの頭上にそびえ立つ蛇を表現したものである。

富と豊かさをもたらすその他の蛇神たちも同じ時期に民間で親しまれるようになった。例えば、ゼウス・フィリオス(友情を司る神ゼウス)やゼウス・クテーシオス(財産を司る神ゼウス)、そして特に、アガトス・ダイモーン(善なる神霊)は、紀元前4世紀末にマケドニア人たちが建設した新しい都市アレクサンドレイアに関係する神話において重要な役割を果たし、アレクサンドレイア市全体と市内の個々の家族と家屋の守護者を務めるようになった(参照:偽カリステネス、「アレクサンドロス・ロマンス」、 A Text 1.32.5-13)。

ピンドスの蛇が象徴する神が、実際のところ、ゼウス・メイリキオスと同一であったと考えることは可能であろう。おそらくアイリアノスは、蛇の怒りの鎮静を、「柔和」を意味するメイリキオスという語に関連するメイリキテイスという語で記述したのかもしれない。少なくとも、後世のマケドニア王たちが、ゼウス・メイリキオスに厚い信仰を寄せていたことは知られている。例えば、フィリッポス5世(在位: 紀元前211年-179年)は、ペラでゼウス・メイリキオスに奉納物をささげたと伝えられる。また、アイガイ(現在のヴェルギナ)にあるエウクレイア聖域の第二神殿の控えの間には、大理石製の大きな蛇の像の一部が発見されている。紀元前2世紀半ば頃のものと推測されるこの蛇の像は、アテナイにあるゼウス・メイリキオスの浮き彫り石碑を立体化したものだと説明する学者がいる。それから、オリュンピアスとの間にアレクサンドロス大王をもうけた有名な大蛇もゼウス・メイリキオスであると考えてよいかもしれない。

プルタルコスの「対比列伝」のアレクサンドロス伝2-3章によれば、その大蛇ゼウス・メイリキオスは、マケドニアの王族に天恵を授けるために姿を現している。羊の姿で現れるエジプトの神託を与える神アンモンが、シワのオアシスにある自らの神殿を訪れた際にアレクサンドロス大王が自分の息子であると宣言したことを考慮すると(参照:ストラボン、「地理誌」、C814等)、アレクサンドロスの父であるこの大蛇は、後には、アンモンとの繋がりを持つようであるが、少なくとも、先ず、様々な修飾称号(エピセット)を伴って出現するゼウス神が持つ幾つかの特徴を共有していることは明らかであろう。

アイリアノスの描くピンドスが出会った蛇が、ゼウス・メイリキオスであると特定され得るかどうかについて断定的な回答を今は保留するとしても、この話には、ピンドス川の名前の起源を説明する以外の役割が認められると結論してよいと思われる。それは、マケドニア王国と敬虔な国民に富と豊かさともたらす神的な力をマケドニアの王たちと結びつけることによって、王たちの権力を神格化し、正当化する役割である。

その他、蛇の姿で顕現した神としては、アンフィアラオス、アスクレピオス、ヒュギエイア、グリュコーン等があげられる。このうち、医療の神として有名なアスクレピオスは、治癒に関する祭祀や聖域の建設のため、アテナイ、コース、ペルガモン、ローマ等の諸都市を蛇の姿で巡ったと伝えられている。オウィディウスの「変身物語」第15巻622以下には、華麗な大蛇に転身したアスクレピオスが、ローマで起こった疫病を鎮静するために、使節団に随行されながらエピダウロスからローマへと運ばれて行く様子が、壮麗で優美に表現されている。

以上、古代ギリシア文化という文脈から、神聖な蛇を概観した。日本では先日、今年の節分を迎え、暦の上での季節は既に春となった。古代ギリシア文化圏に存在する富や幸運、健康をもたらす蛇神、国や家族、家屋を守護する蛇神に類似する日本古来の蛇神の御加護を得て、国全体、各家族、また、個々人が様々な恩恵に与り、幸せな一年を送れるようにと祈念して筆を置くことにしたい。

オグデン江里子(エクセター大学西洋古典学部フェロー)