古典学エッセイ

中務哲郎:西洋古典とクラシックス

 日本西洋古典学会が日本学術会議の登録団体となるにあたって、面白いやりとりがあったようである。学会事務局のある松平研究室に柳沼助手が独りでいたところ、学術会議会員の桑原武夫先生から電話があり、「日本西洋古典学会なんちゅう妙な学会名で申請されては困るな。日本の古典をやるんか西洋の古典をやるんか、それとも両方ともなんか、さっぱり分からんやないか」と仰せあった。後日再度の電話では、「あんたらの学会の英訳名やがな、Classical Societyとなっとるが、この英語では「古典学会」ではのうて「古典的学会」ということになるんとちゃうか」と。この時は松平千秋先生が、「英国の古典学会もClassical Associationと申しますので、それで行けると思いますが」と応答されて、一件落着となったという。1956年のことである。(柳沼重剛「学会設立前後のことども」『思想』第910号。2000年4月)

 classic,classicalと言えばシェイクスピアやゲーテではなくギリシア・ラテン文学を指す伝統。この伝統の元にある言葉の由来を確認しておこう。

 古代ローマ人は土地の生産高によって、後には財産の多寡によって五つのclassis(階級)に分けられたが、classicus(classisに属する人)と呼ばれるのは財産が125,000アス以上と評価される第一classisの人々のみで、それ以外は「classis以下」と呼ばれた。つまり、classicusとは「第一階級に属する」という意味であった。その対極にあったのはproletariusで、五つの階級の人々は財力に応じて重装兵や軽装兵として軍務に就いたが、税金も払えず兵士にもなれず、proles(子孫)を持つことでしか国家に奉仕できぬ人々がプローレーターリウスと呼ばれた。すなわち、classicusは最富裕階級、proletariusは最貧層を表した。これが作家に転用されて、classicus scriptorは「古えの権威ある作家」、proletarius scriptorは「下級の当てにならぬ作家」を表すことになるのである(ゲッリウス『アッティカの夜』6.13; 19.8.15)。

 ところで、classisは to call,to summonの意味のギリシア語kalein,ラテン語calareと語源を同じくするから、本来は危急に際して呼び出される集団、軍隊や艦隊をも意味した。文学や思想の古典も、しばしば呼び出され引用されるところに一つの特質があると思われるので、その例を一つ挙げておこう。

Le Monde   Popyphemos

 1991年1月17日、湾岸戦争が始まるや「ルモンド」は早速翌日の紙面に諷刺漫画を掲載した。(朝日新聞、1991年1月27日に転載)。砂に埋もれ首から上だけを出したフセイン大統領の巨大な顔に4人の多国籍軍兵士が跳び乗って、星条旗の竿の先で目玉を潰している。ここで呼び出されているのは、もちろんホメロス『オデュッセイア』9歌で語られる「巨人の目潰しの物語」。トロイアを滅ぼして帰国の途についたオデュッセウスの一行は、キュクロプス(隻眼の人食い巨人)の島でポリュペモスの洞窟に閉じ込められる。食事の度に仲間を二人ずつ食い殺されたオデュッセウスは、残った部下を励まし、先を尖らせて焼き固めたオリーブの丸太で巨人の眼を潰して復讐する。ルモンド紙の漫画家はこの物語を下敷にすることにより、湾岸戦争におけるアメリカの真の目的が、イラクからのクウェートの解放というより、むしろフセイン潰しと石油利権の確保にあることを諷したのであるが、私としては、『オデュッセイア』の一挿話がこのように楽々と呼び出される文化に羨望を覚える。

(エレウシス出土のアンポラは、F.Brommer, Odysseus.Darmstadt 1983 より)
(カラー画像はこちらのサイトでも確認することができます。「Eleusis neck-amphora」)