コラム

勝又泰洋:イギリス小滞在記(8):Imperial Greek Epic Day

 帰国まであとわずかとなったある日、今回の研究滞在中最大のイベントがやってきた。コーパス・クリスティ・カレッジ(本シリーズ第3回で紹介)主催、Imperial Greek Epic Dayである。この研究集会で取り上げられたのは、その名が示すごとく、ローマ帝政期にギリシア語で綴られた叙事詩であった。日本では、これらの作品に対する学問的分析が熱心に進められているとは言い難いものの、ノンノス、スミュルナのクィントス、オッピアーノス、コルートス、トリュピオドーロスといった名前はすでによく知られているだろう。

 私の専門はローマ帝政期のギリシア文学なので、これらの作家たちにも当然関心は持っていた。しかしながら、私はそれまで専ら散文ばかりに目を向けてきていて、正直な話、この研究会に参加するまで、ローマ帝政期ギリシア叙事詩についてはほとんどまともに勉強したことがなかった。なので参加前は、新しい知識がたくさん手に入るぞという期待感と、専門的議論についていけなかったらどうしようという不安感が入り交じった状態であった。

 ところでなぜローマ帝政期ギリシア叙事詩なのか。ホメーロスという、最高最大のヘクサメトロス叙事詩人を知っている我々からすれば、これら古代もかなり後期の詩作品には文学的価値などない、と考えるのが普通なのではなかったろうか。実際、これらの作品群に対しては、ただひたすら長いだけで物語は何もないだとか、比喩が不自然でけばけばしいだとか、レトリック誇示の単なる遊戯だとか、罵詈雑言に近い評言が向けられてきたはずだ。

 このような評価は、しかしながら、見直されつつある。ここ数十年の、ローマ帝政期ギリシア文学(あるいは、いわゆる「第二ソフィスト時代」の文学)の根本的読み直しの作業に伴って、この時代の叙事詩群研究も、現在主に欧米諸国で加速度的に進められてきているのが事実なのだ。現に、Imperial Greek Epic Dayと同種の研究会は、他にもいくつか催されてきている。2006年、チューリッヒ大学で行われた、スミュルナのクィントス『ホメーロス後日譚』に関する集会(オーガナイザーはマニュエル・バオムバッハ(Manuel Baumbach)とシルヴィオ・ベール(Silvio Bär))はその代表例と言えようし、ごく最近、今年2013年の7月にも、ケンブリッジ大学にて、ローマ帝政期ギリシア叙事詩全般に関する研究会合が催された(オーガナイザーはエミリー・ニーボーン(Emily Kneebone)とティム・ホイットマーシュ先生(本シリーズ第4回で紹介))。今回の小研究会についても、このような研究動向が背景にあったわけである。

 さて、発表は全部で7つあった。ローマ帝政期ギリシア叙事詩群を全般的に扱ったものが3つ、それ以外の4つは個別作品論で、それぞれ、ディオニュシオス『バッコス譚』、スミュルナのクィントス『ホメーロス後日譚』、ノンノス『ヨハネによる福音書パラフレーズ』、同『ディオニューソス譚』について、その作品の特徴を示すようなパッセージを精読し、内容吟味を試みる、というスタイルであった。細かな議論を通じて作品に対する理解を深める、というよりは、過小評価されてきたこれらの作品に今一度光を当て直してみる、というのがこの会合の狙いであった。

 一点、発表の手順に関して少し驚いてしまったことがある。発表者は皆、ハンドアウトを用意していたが、そのハンドアウトには、基本的に、考察対象となるテクストが並べられてあるだけだったのだ。一般に日本の研究会ではこのようなことはあまりないだろう。ハンドアウトといえば、テクストとそれに関する発表者の考えが並置されていたり、先行研究が簡単に記してあったり、結論の言葉がはっきりと目に見えるかたちで示されていたりと、基本的に、発表を聴く側の人間が議論についていきやすいよう配慮がなされているものだ。このような形態に慣れていた私は、最初、彼らのハンドアウトの作りに困惑してしまった。しかし、慣れないながらも連続して発表を聴いているうちに、だんだんとその形式の「効用」にも気が付いてきた。聴衆は、発表中、ハンドアウト内のテクストをじっと見つめている。おそらく彼らは、発表者のテクストの読み方に注意を向けながらも、それと同時に、彼ら自身その場でテクストと対話をしているのではないだろうか。もしハンドアウトにテクスト以外のもの、例えば、先行研究概観、各節のまとめ、議論をまとめた表、あるいは強調のためのテクストへの線引きなどがあったとしたら、発表内容にはついていきやすくなるものの、自分自身が行うべきテクストとの「真剣勝負」の機会は失われてしまうかもしれない。ハンドアウトにはまっさらなテクストのみ、という彼らの流儀は、聴衆泣かせのようでいて、実は、その場にいる全員で当該テクストを徹底的に吟味しようではないか、という発表者の意志の表れであったのかもしれない。

 発表はそれぞれ非常に興味深く、洞察に満ちた観察も多々あった。私にとってこれらはもちろん大きな収穫物となった。しかし、出席して良かったと私に最も強く感じさせたのは、発表者全員が持っていた、対象作品に対する強い愛情であった。ローマ帝政期ギリシア文学は、専門家の間では、まだまだ「マイナー」な作品群であるといえるだろう。しかし、このようなレッテルを貼ってきたのは、結局、過去の人間たちである。文学作品の評価(そしてそれに基づいて作られる「文学史」)というものは、時代とともに変わっていくはずのものであり、「普遍的な」「絶対に正しい」「誰もが認めるべき」見解などというものは存在しないはずである。ある時代にはキャノンに含まれていなかったものが、次の時代にはそうでなくなる可能性は十分あるだろう。発表者の研究姿勢は、ローマ帝政期ギリシア文学研究の興隆の可能性を私に予感させた。


発表会場となったコーパス・クリスティ・カレッジ

 それから数日後、私はヒースロー空港のロビーで帰りの飛行機を待っていた。外はとてもきれいに晴れていた。3ヶ月、本当に早かった。でも思い残すことはない。オックスフォードで出てきた課題は、日本に帰ってから少しずつ取り組んでいくことにしよう。心は、喜びと希望で満ち溢れていた。

 「イギリス小滞在記」は今回で最終回といたします。これまで拙文をお読みくださった皆様、本当にありがとうございました。私は、オックスフォードという小さな都市の西洋古典学事情をわずかばかり覗き見ただけでしたが、それでも、西洋古典学という学問に大きな未来があることを感じました。本エッセイを通じて、イギリスで勉強してみたい、研究滞在してみたいと思うようになった方が出てきてくださったとすれば、それに優る喜びはありません。我が国と彼の国のさらなる学問的交流、相互発展を祈りつつ、筆を擱くことにいたします。

勝又泰洋(京都大学大学院)