コラム

勝又泰洋:ハンガリーの国際学会に参加して

 去る8月28日、29日、30日の3日間、中央ヨーロッパはハンガリー共和国のセゲド(Szeged)にて、西洋古典学に関する国際学会が開催された。筆者は、発表者としてこの学会に参加した。我が国では知られることの少ないハンガリーの西洋古典学事情のほんの一端を紹介するという意図のもと、以下でその学会の様子を簡潔に報告したい。

 学会の正式名称は、Sapiens Ubique Civis: International PhD Student Conference on Classics。主催は、南ハンガリーの大都市セゲドにある、セゲド大学人文学部古典文献学・ネオラテン学科。発表者は総勢で41名、学会名称が示すように、その全員が、大学院博士課程に在籍する学生であった。ハンガリーの学生が全体の3分の1程度を占めていたが、その他は、ギリシャ、イタリア、ドイツ、イギリス、ポーランド、チェコ、アメリカ、と、国籍は実に多様であった。公式使用言語は英語及びドイツ語とされていたが、運営サイドの方々は、ほぼドイツ語を用いていた。これは、ハンガリーという国が、ドイツ語の学習を(おそらく英語以上に)重んじており、彼らにとってはドイツ語が非常に使いやすい言語であるためであろうと思われる(ちなみに、町の人々も、英語よりドイツ語の方を得意としているようであった)。いくつかの発表が、その内容ごとに、1つのセッションとしてまとめられていた。例えば、筆者の属したセッション「古代後期及び受容史」には、筆者を含め4人の発表者が含められていた。他には、「ローマ考古学」、「ネオラテン文学」、「ギリシア叙事詩」、「古代宗教」、「ローマ史」、「古代悲劇」、「古代哲学」、「ラテン文学」のセッションがあった。1人の持ち時間は20分、セッションの発表がすべて終ったあと、30分程度のセッション内ディスカッションが行われる、という形式であった。

 1日目の昼に参加登録が開始され、開会宣言がなされたのは15時過ぎであった。この日は若干名が発表を行ったのみで、夜にはレセプションパーティーが催された。続く2日目は、10時過ぎからパラレルセッションとして次々と発表が行われ、夜にはゲストバイオリニストによるコンサートが開かれた。最終3日目も、朝から発表が始められ、17時過ぎの閉会宣言の後、セゲド市街観光、最終レセプションパーティーと続き、全プログラムが終了した。

 筆者は、2日目の夕方に、第二ソフィスト時代を代表する知識人ピロストラトスの作品『英雄物語』(紀元後3世紀初)について英語で発表を行った。残念ながら、聴衆の数は非常に少なかったが、ディスカッションの時間に1人の方が質問をしてくださり、その方とのやりとりから得たことは多大であった。

 発表の質は総じて非常に高いと感じた。おそらく参加者全員が博士論文の執筆に取りかかっており、発表内容はその一部ということであったのだろうと思われる。発表によって議論の盛り上がり方の差があり、質問がまったく出ないものもあれば、鋭い意見が矢継ぎ早に浴びせられるものもあった。筆者の頭に特に焼き付いているのは、「古代悲劇」のセッション内ディスカッションの激しさである。ギリシア悲劇における「殺人」の問題に話が及ぶと、幾人もの参加者が自らの意見を発し、その内容吟味の際会場は何とも言えぬ緊張感に包まれ、議論が尽きることは決してなかった。文学研究の醍醐味というものを肌で感じることができたといえよう。

 レセプション・パーティー、そして、ところどころではさまれるコーヒー・ブレイクの時間に、他の参加者と和やかに、しかし同時に真剣に話を交わすことができたことは、本当に良かったと思っている。自国内の西洋古典学の位置付け、ギリシア語・ラテン語の学習状況、博士課程学生の収入源、博士号取得者の学術機関への就職率等について、数多く情報交換を行うことができた。何より有益だったのは、自分たちが現在取り組んでいる博士論文の内容について、話を交わすことができたことである。他国で生活している、自分と同世代の若手研究者たちが、どのようなことを、どのようなレベルで探究しているのか知ることができる機会はそうないはずである。論文内容を紹介する彼らの輝く目を忘れることはできない。彼らの何人かとは特に親しくなり、学会終了後の今も互いに連絡を取り合っている。このような人的つながりは、必ずや将来の研究に活かされるであろうと信じている。

 以上、極めて簡単にではあったが、報告を終えたいと思う。筆者にとっては初めての国際学会での発表であったが、その出来にはおおむね満足している。今回の学会参加を通じて、また機会があれば何度でも国際学会に参加し、自らの考えを発信したいと思った。世界には、ギリシア・ローマを心から愛する研究者たちが数多くいる。一人のギリシア・ローマ研究者として、彼らと対話をしない手はない。研究内容を洗練させたいだけではない。その先には、自らの人間性の広がりが待っているはずなのだ。


セゲド大学人文学部棟

勝又泰洋(京都大学大学院)