コラム

勝又泰洋:イギリス小滞在記(2):大学の図書館

 古典学部棟の受付で身分証明カードを無事発行してもらえた。これで今日から3ヶ月はオックスフォード大学の一員だ。意気揚々と私がまず目指したのが、開設して間もないサックラー図書館(Sackler Library)であった。規模は小さいながら、西洋古典学関係の図書についてはこの図書館が学内で最も充実しているのだ。

建物は、地下階1つ、地上階4つの5階建。入ってすぐのところにある館内案内板を見ると、文学関連の資料(私はローマ帝政期のギリシア散文文学(プルータルコス、ディオーン・クリューソストモス、ルーキアーノス、アエリウス・アリスティデース、ピロストラトス等)を研究している)は地下階にまとめられているとのこと。私は興奮した足取りで階段を下りて、ひとまずその階の書架を適当に眺めていった。研究者である以上、どのような規則にしたがって図書が並べられているのかを最初に調べるのが義務だったのかもしれないが、そんなことはする気にもならなかった。とにかく眼前に広がる未知の世界に無心で飛び込んでみたかったのだ。

 その空間はまさに天国であった。テクスト、注釈書、翻訳、そして基本研究文献はもちろん、日本国内ではどうしても手に入らなかった研究書が当たり前のようにそこに置いてある。そういった希少本を見つけたとき、私は、特に中身を確認するという意図もなく、ただとにかくページをめくり、その感触を存分に味わった。やっとだ、やっと出会えたぞ。嬉しくて仕方がない。学部生時代から探していた、ルーキアーノス研究には欠かせない学会論文集Lucien de Samosate(Alain Billault編纂)は迷うことなくただちに全ページコピーした(これをお読みになっている皆さん、図書館側にはどうか伝えないでおいてください)。結局私は3ヶ月の研究滞在期間の大半をこの図書館の地下階で過ごした。西洋古典の本に文字通り囲まれて過ごした日々は本当に幸せだった。

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サックラー図書館入口

ボドリーアン図書館(Bodleian Library)にも何度となくお世話になった。この学内最大の図書館(英国内で出版された全ての書物および海外の書物が無数に収められている)の名は、創立者のトマス・ボドリー卿(Sir Thomas Bodley(1545-1613))にちなんで付けられたものだという。入口の前には威光を放つ卿の立像が置かれており、館内に入る者は必ず彼の横を通ることになる。私は、偉大な創立者の顔を見る度に、この世界有数の図書館を利用できることの喜びを感じた。

 この図書館の下部閲覧室(Lower Reading Room)はいくつかのセクションに分かれており、そのうちの2つは「ギリシア学セクション」と「ローマ学セクション」であった。私は、求めているものがサックラー図書館にないときこの閲覧室に来て、中身をチェックするなり必要な箇所をコピーするなりしていた(ちなみに、ボドリーアン図書館の本は全て館外に持ち出すことが禁じられている)。この部屋では、オックスフォード大学の名のある教員が勉強している姿がしばしば見られた。普段は「(学問レベルという意味でも、地理的な意味でも)遠い存在にある人たち」が目の前で本を読んでいたりノートパソコンに向かって唸っている。ここで記録された脳内映像は貴重な土産物となった。

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トマス・ボドリー卿立像

 私は、オックスフォードの図書館の充実具合に日々感激しており、この思いをとある研究会で知り合いになった学者に伝えてみたことがある。「日本ではそう簡単に手に入らないようなものが、ここだとほとんど何でもすぐ手にとって読めるのだから、本当に助かっています」と笑顔で。しかし向こうは、私の言葉にわずかに同意しただけで、すぐこのように付け加えてきた。「でも、本棚の前に行くと魅力ある本があちこちに見つかってしまって、そいつらに捕まっちゃうと、今やらなくちゃいけない論文とか本とかの作業がストップしちゃうんだよなあ」なるほど、これだけ本が揃っていると、セレンディピティがかえって有害なものとなるわけか。

勝又泰洋(京都大学大学院)