Q&Aコーナー

質問

 初めまして、私は皇帝ネロの母親小アグリッピナの回想録を、オンライン上で執筆しているJoshと申します。

 古代ローマ人の「ネロ」というと皇帝ネロが連想されますが、実際には母親の小アグリッピナが初婚でアヘノバルブス家へ嫁いでいるので、生まれた時はルキウスという名前でしたが、その後夫のグナエウスがこの世を去り、小アグリッピナがクラウディウス帝(実の父親ゲルマニクスの弟)と再々婚したことで、クラウディウス家の養子としてネロ・クラウディウス・カエサル・ドルスス・ゲルマニクスと名前を変えております。そこで疑問が一つ生まれました。

 ユリウス・クラウディウス朝では、以下のようにネロの名前を持つ人物たちが非常に多いですが、この場合、同じネロでも個人名と添え名では意味が違ってくるのでしょうか?

<添え名であるアグノーメンとしてのネロ>
ティベリウス・クラウディウス・ネロ(ローマ帝国第2代皇帝ティベリウスの実父)
ティベリウス・クラウディウス・ネロ(ローマ帝国第2代皇帝ティベリウス)
ティベリウス・クラウディウス・ネロ(ローマ帝国第4代皇帝クラウディウス)

<親がつける個人名プラエノーメンとしてのネロ>
ネロ・クラウディウス・ドルスス(ローマ帝国第4代皇帝クラウディウスの実父)
ネロ・クラウディウス・ドルスス(通称ゲルマニクス ローマ帝国第4代皇帝クラウディウスの実兄)
ネロ・クラウディウス・ドルスス(ローマ帝国第2代皇帝ティベリウスの実息子)
ネロ・ユリウス・カエサル・ゲルマニクス(通称ゲルマニクスの長男)
ネロ・クラウディウス・カエサル・ドルスス・ゲルマニクス(ローマ帝国第5代皇帝ネロ)

 また、比較的長男にネロという名前が多いのは気のせいなのでしょうか?お忙しい中、お手数ではございますが、何卒ご回答のほど、宜しくお願いいたします。

(質問者:Josh Surface 様)

回答

 帝政期に入るとローマ人の名前のシステムが大きく変わりよく分からぬところもあるのですが、簡単にお答えします。(ご質問者の文言は《 》で示します)。

 《ユリウス・クラウディウス朝では、以下のようにネロの名前を持つ人物たちが非常に多いですが、この場合、同じネロでも個人名と添え名では意味が違ってくるのでしょうか?》

 スエトニウスは、『ローマ皇帝伝』のティベリウス伝(第一章)で、クラウディウス氏はサビニ族の地からローマに移住した貴族で、この氏族の一つの家系が用いていたネロというコグノーメンは、サビニ族の言葉で「勇敢」とか「剛毅」を意味する、と記しています。ご存じのように共和政期のローマ人は、原則としてプラエノーメン(個人名)、ノーメン・ゲンティーレ(氏族名)、コグノーメン(添え名)の三つを持っていました。プラエノーメンは決まっていて20足らずしかありません。原則として長男は父親のプラエノーメンを継承しました。コグノーメンは必須の要素でなかったようで、持たない人もいるし、様々な理由から複数個持っていた人もいます。

 《ティベリウス・クラウディウス・ネロ(ローマ帝国第2代皇帝ティベリウスの実父)》

 これは、典型的なローマ人の名前ですが、帝政期に入ると、この名前のシステムが大きく変わって行きます。このティベリウス・クラウディウス・ネロに嫁いだリーウィア・ドルッシッラという女性(マールクス・リーウィウス・ドルースス・クラウディアーヌスの娘)は、夫との間に二人の息子を儲けましたが、まだ第二子を懐妊しているあいだに離婚し、オクタウィアーヌス(後のアウグストゥス)と再婚しました。長子は、

 《ティベリウス・クラウディウス・ネロ(ローマ帝国第2代皇帝ティベリウス)》

と、共和政期のローマ人の慣習に従って父の名前をそのまま受け継いでいます。しかしアウグストゥスの養子となった紀元後四年以降はティベリウス・ユーリウス・カエサル、そしてアウグストゥスが亡くなってその地位を引き就いたあとは、ティベリウス・カエサル・アウグストゥスと名乗っています。リーウィアが再婚先で生んだ第二子(クラウディウス帝の父)はネロ・クラウディウス・ドルーススと呼ばれます。スエトニウスによると、個人名はかつてはデキムスと名乗っていましたが、後にネロに変えました(『ローマ皇帝伝』「クラウディウス伝」第一章)。従ってもともとの名は、デキムス・クラウディウス・ドルーススだったと考えられます(コグノーメンは、必ずしも父に名を継承する必要はなく、母親の離婚後に生まれたので母方の氏族のコグノーメンを用いたのかも知れません)。何がきっかけで彼が個人名を変えたのかは分かりません。

 《<親がつける個人名プラエノーメンとしてのネロ>》

上に述べたように、帝政期になると特に帝室関係の人物はしばしば名前を変えています。本来はコグノーメンだったネロをプラエノーメンとして用いるのは、必ずしも親が生まれた子に付けた場合に限りません。

《ネロ・クラウディウス・ドルスス(ローマ帝国第4代皇帝クラウディウスの実父)》
上記。
《ネロ・クラウディウス・ドルスス(通称ゲルマニクス ローマ帝国第4代皇帝クラウディウスの実兄)》

ティベリウス帝の養子となった(紀元後四年)あとは、ゲルマニクス・ユーリウス・カエサルと呼ばれる。

《ネロ・クラウディウス・ドルスス(ローマ帝国第2代皇帝ティベリウスの実息子)》

父ティベリウスがアウグストゥスの養子となった(紀元後四年)あとは、ドルースス・ユーリウス・カエサルと呼ばれる。

《ネロ・ユリウス・カエサル・ゲルマニクス(通称ゲルマニクスの長男)》
《ネロ・クラウディウス・カエサル・ドルスス・ゲルマニクス(ローマ帝国第5代皇帝ネロ)》

グナーエウス・ドミティウス・アヘノバルブスとユーリア・アグリッピーナ(ゲルマニクスの娘)とのあいだに生まれ、最初ルーキウス・ドミティウス・アヘノバルブスと名乗っていたが、紀元後五〇年にクラウディウス帝の養子となったあとは、ネロ・クラウディウス・カエサル・ドルースス・ゲルマニクスと呼ばれた。

《また、比較的長男にネロという名前が多いのは気のせいなのでしょうか?お忙しい中、お手数ではございますが、何卒ご回答のほど、宜しくお願いいたします。》

 ラテン文献学者でローマ史家でもあった F=ミュンツァーは、以下のように説明しています。紀元後四年に、ティベリウス・クラウディウス・ネロ(後のティベリウス帝)と彼の弟の長子ネロ・クラウディウス・ゲルマニクスが養子縁組によってユーリウス氏に入籍したあと、由緒あるネロの名が消える危険があったため、ネロ・クラウディウス・ゲルマニクスの弟(後のクラウディウス帝)にコグノーメンとして与えられた。そしてそのすぐ後で、ユーリウス氏に入籍したゲルマニクスに最初の男の子が生まれたとき(紀元後六年)、この子にネロの名がプラエノーメンとして与えられ(ネロ・ユーリウス・カエサル)、古い名の新しい用法(コグノーメンをプラエノーメンとして用いる)が、祖父から孫へと続くことになった。そして最後に、クラウディウス帝は登極するまでコグノーメンとして帯びていたネロの名を皇帝となってからは用いなかったが、紀元後五〇年にルーキウス・ドミティウス・アヘノバルブスを養子としたとき、彼にこれをプラエノーメンとして与えた。

(回答:毛利 晶)