Q&Aコーナー

質問

パイドン90bに σοῦ νυνδὴ προάγοντος ἐγὼ ἐφεσπόμην「いまのは君(パイドン)につられて僕も話がそれてしまった」(池田美恵訳)という箇所があります。パイドンはソクラテスとの対話では終始受け身であり、ソクラテスの話を逸らすような発言は全くしていないように思います。パイドンのどのような言動を指してソクラテスは「つられた」と言っているのでしょうか?

(質問者:Mary Poppins 様)

回答

Mary Poppins 様

 古典作品の場合、細部に(あえて)こだわることで新しい発見があったり、問題点に気づいたりすることが少なくないですね。

 ご質問の箇所も指摘されてみますと、たしかに少し不明瞭な印象がありますが、とりあえず単純に考えてみますと、直前の 90A でパイドンが「それはどういう意味ですか」と問いかけていて、その問いが議論の要点を逸らせることになった、ということではないでしょうか。もっとも、何につけても極端なものは少数で大多数は中間のものだという論点はソクラテスの側からつけ加えたものですから、実際にはパイドンが話を逸らせたわけではないでしょう。

 これもソクラテスの「アイロニー(空とぼけ)」と言うべきかもしれませが、こういう一見些細な「逸脱」がソクラテスの対話(あるいはプラトンの「対話篇」)の内容を豊かにしているように思われますし、ときにはかえって重要な事柄が示唆されていることも少なくないでしょう。「人間嫌い」に陥ることとの対比で「言論嫌い」に陥るのはどのようにしてかを語るうえで、この「逸脱」もけっして単なる「逸脱」に終わってはいないのでしょう。

 なお、普通のスタイルの著作なら、「それはどういう意味ですか」につづくソクラテスの応答の部分は( )書きにするか注に回すところでしょう。

(回答:K.U.)